違星北斗俳句集
違星北斗は歌人として知られていますが、最初は余市の小学校教師・古田謙二の指導のもと、俳句を作っていました。
しかし、北斗の本当に訴えたいことをダイレクトに表現するには、俳句は短すぎ、また制約が多すぎました。上京以前より短歌を作り始めていた北斗は、バチラー八重子との出会いをきっかけに、自由口語短歌の方にむかいます。
(発表) | (書名) | (数) |
1924/2〜1927/4 | 『句誌にひはり』 | 15 |
1926/12 | 『医文学』書中俳句(二風谷より) | 2 |
1928/2 | 自働道話 | 1 |
1930/5 | 初版『コタン』 俳句(北斗帖) | 20 |
1931/12 | 北海道 樺太新季題句集 | 3※1 |
1954/8 | 『違星北斗遺稿集』古田謙二「落葉」 | 1※2 |
※1 この3首の俳句には「違星北斗」の作かどうか、疑わしい部分もある。
※2 この句は、古田謙二の文の中に登場する。「草風館」版の84、95年版とも、この句を北斗の遺稿としては掲載していない。