落葉 古田謙二
落葉の頃になると、いつも逝くなった余市のアイヌ青年違星北斗の事を憶い出す。
彼はよく私の所に遊びに来た。小学校も尋常科きりの学歴だったが、読書が好きで、いろいろな知識をもっており、殊にみずからがアイヌであるとの自覚は、彼を一種の憤慨居士にしていた。
彼はよく「和人の優越感」という言葉を口の端にのせては憤慨した。「何だ、和人の奴等は! 四海同胞なんか言い乍ら、我々同族をいつも蔑視しているじゃないか。小学校に於ける差別待遇はどうだ。漁場に於ける我々への酷使ぶりはどうだ。第一、我々を見る眸の中にあるさげすんだ表情は何としても許されない。憎むべきは和人の優越感である」
こういっては、憤懣の情を激しい言葉で叩きつけた。
「そんなにおこらなくてもよいじゃないか」というと「先生は和人だから気がつかないのだ。アイヌである自分にはシャクに障って/\」と若い頬を紅く染めては憤慨を続けるのだった。
所がある秋の日曜の午後の事だった。俳句の素材を拾うために近所の野山をぶらつこうと玄関を出かかったら、彼がやって来た。私も一緒に行くという。そこで二人は学校の裏山の方へと歩をむけた。今日の彼はいつになく静かで、且つ沈鬱だった。彼の口から必ず出る和人攻撃の言葉は、今日の山路をどこまで行っても出ては来なかった。
山の落葉松はスッカリ黄ばんで、その黄金色は秋の色彩へ明るさを与えていた。彼はその落葉松の林の中へ入ると、何を思ったのか一本の幹に手をかけてゆさぶり出した。黄ばみつくした葉は、彼の力につれ、バラバラと散ってきた。彼は一本の木の葉を散らし尽くすと次の木へ手をかけた。そして前以上の力でゆさぶった。枯葉は彼の頭の上から降って、その多感なアイヌ青年をおそった。彼は次から次へと落葉松の葉を落して止まうとしなかった。私が声をかけなかったら、彼はこの山の落葉松の一切を落しつくすまで止めなかったかも知れない。
「先生、私の考えが浅かったのです」突然彼はこう言い出した。「アイヌが無自覚なんです。我々民族(ウタリー)のどこにも立ち上る意気がないのです。和人が悪いのじゃない、我々の意気地なしが悪いんだ……」こういう彼の声は泣いているかの如くふるえていた。「私はアイヌに生まれたことが悲しかった。然しもう悲しまない。私はアイヌなんかいう殻に閉じこもっていちゃいけないんだ。アイヌを超越するんだ。私は大自然の子なんだ。私は自分のゆがめられた根性ッ骨をたたき直さねばならないんだ」こういってから、彼は静かに近くの切株に腰をおろしたのだった。
私は、黙って瞑目し、沈思している彼の姿を見守った。彼のゆり落した落葉松の葉がスッカリ地を覆って、秋気は天地に満ち満ちていた。人里遠い山の中で、我々二人は切株に坐しつつ自然の呼吸に自らの呼吸を合わせ、人生の意義をおもいめぐらした。私は「森林に自由存す……」とうたった詩人のこころの韻律を今さらの如く、自らのうたごころの上にのせてみたのだった。
「先生、これはどうでしょう」
しばらく経ってから、彼はノートをひきちぎった紙片へ何かを書いてつき出した。それには俳句が一つ書かれてあった。
枯れ葉みな抱かれんとて地へ還る 北斗
○
あれからもう二十六、七年の歳月が経つ。彼はその翌年結核で倒れた。私は落葉松の黄葉が炎える時期になると彼を憶いだす。そして、あの山のひとときの印象が強く甦ってくるのである。 (俳句誌「緋衣」主幹)
(昭和二十九年・違星北斗の会発行『違星北斗遺稿集』より)
※『違星北斗遺稿 コタン』(84年版)附録「くさのかぜ」より