昭和二年十一月号(予告号)
鮭くる時
暦なくとも鮭来る時を秋としたコタンの昔 思ひ出される
幽谷に風うそぶいて黄もみぢが―――苔踏んでゆく肩にふりくる
ニギリメシ腰にぶらさげ出る朝のコタンの空でなく鳶の声
桂の葉のない梢 天を突き日高の山に冬がせまった
コタン吟
しかたなくあきらめるといふこゝろあはれアイヌを亡したこゝろ
アイヌ相手に金もうけする店だけが大きくなってコタンさびれた
強いもの! それはアイヌの名であった昔しに恥よさめよ同族
熊の胆で助かったのでその子に熊雄と名づけた人もあります
正直なアイヌをだましたシャモをこそ憫なものとゆるすこの頃
勇敢を好み悲哀を愛してたアイヌよアイヌ今どこにゐる
除夜の鐘
俺がつくこの鐘の音に新春が生れてくるか精一ぱいにつく
新生の願ひ叶へとこんしんの力を除夜の鐘にうちこむ
高利貸の冷い言葉が耳そこに残ってるのでねむられない夜
詮じつめればつかみどこないことだのに淋しい心が一ぱいだ冬
昭和三年六月号 表紙 目次
民族を背負って立つのは青年だ 先覚者よ起てアヌウタリクス!
あばら家に風吹きこめばごみほこりたつその中に病んで寝てゐる
永いこと病床にゐて元気なくこころ小さな俺になってゐる
アイヌの乞食
子供等にからかはれては泣いてゐるアイヌの乞食に顔をそむける
酒のめばシャモもアイヌも同じだテ愛奴のメノコ嗤ってゐます
※95年版『コタン』より