昭和二年十月三日
アイヌッ! とただ一言が何よりの侮辱となって燃える憤怒だ
獰猛な面魂をよそにして弱く淋しいアイヌのこゝろ
ホロベツの浜のはまなす咲き匂ひエサンの山は遠くかすんで
伝説のベンケイナッポの磯の上にかもめないてた秋晴れの朝
昭和二年十月二十五日
シリバ山もすそにからむ波だけは昔も今にかはりはしない
暦なくとも鮭くる時を秋としたコタンの昔慕はしくなる
握り飯腰にぶらさげ出る朝のコタンの空でなく鳶の声
シャモといふ小さなカラで化石した優越感でアイヌ見にくる
シャモといふ優越感でアイヌをば感傷的に歌をよむ、やから
人間の誇は何も怖れない今ぞアイヌのこの声を聞け
俺はただ「アイヌである」と自覚して正しき道をふめばいゝのだ
昭和二年十月二十八日
「何ッ! 糞でも喰へ!」と剛放にどなった後の無気味な沈黙
いとせめて酒に親しむ同族にこの上ともに酒のませたい
単純な民族性を深刻にマキリで刻むアイヌの細工
たち悪くなれとのことが今の世に生きよといへることに似てゐる
開拓の功労者てふ名のかげに脅威のアイヌおのゝいてゐる
同族の絶えて久しく古平のコタンのあとに心ひかれる
アヌタリの墓地であったといふ山もとむらふものない熊笹の藪
昭和二年十一月七日
余市短歌会詠草(三日於妹尾氏宅にて)
痛快に「俺はアイヌだ」と宣言し正義の前に立った確信
昭和二年十一月二十一日
余市川その源は清いものをこゝろにもなく濁る川下
岸は埋立川には橋がかゝるのにアイヌの家がまた消えてゆく
ひら/\と散ったひと葉に冷やかな秋が生きてたアコロコタン
昭和二年十二月四日
違星北斗紹介文(並木凡平)
歌壇の彗星
今ぞたつアイヌの歌人亡びゆく同族の救世主
余市の違星北斗君より
握り飯腰にブラさげ出る朝のコタンの空になく鳶の声
暦なくとも鮭来る時を秋としたコタンの昔したはしきかな
ホロベツの浜のはまなす咲き匂ふエサンの山は遠くかすんで
俺はただアイヌであると自覚して正しき道をふめばよいのだ
かくさずに「俺はアイヌだ」と叫ぶのも正義の前に立った喜び
シャモといふ優越感でアイヌをば感傷的に歌よむやから
いさゝかの酒のことよりアイヌらが喧嘩してあり萩の夜辻に ★1
わずか得し金もて酒をのむ刹那々々に生きるアイヌら ★1
コタンからコタンを廻るも嬉しけれ絵の旅、詩の旅、伝説の旅
オキクルミ、トレシマ悲し沙流川の昔を語れクンネチュップよ
仕方なくあきらめるといふこゝろ哀れアイヌをなくしたこゝろ
(注)樽新編集部並木凡平(本名篠原三郎)執筆記事より
昭和二年十二月三十日
売薬の行商人に化けてゐる俺の姿をしげ/゛\とみる
売薬はいかがでございと人のゐない峠で大きな声出してみる
田舎者の好奇心にうまく売ってゆく呼吸も少し覚えた薬屋
ガッチャキの行商薬屋のホヤ/\だ吠えてくれるなクロは良い犬
昭和三年二月二十七日
夕陽がまばゆくそめた石狩の雪の平野をひた走る汽車
行商がやたらにいやな一ん日よ金のないのが気になってゝも
ひるめしも食はずに夜の旅もするうれない薬に声を絞って
金ためたただそれだけの先生を感心してるコタンの人だち
酔ひどれのアイヌを見れば俺ながら義憤も消えて憎しみのわく
豊漁を告げるにゴメはやってきた人の心もやっとおちつく
久しぶりで荒い仕事する俺の手のひら一ぱいに痛いまめでた
一升めし食へる男になったよと漁場のたよりを友に知らせる
ボッチ舟に鰊殺しの神さまがしらみとってゐた春の天気だ
昭和三年四月十一日
水けってお尻ふり/\とんでゆくケマフレにわいた春のほゝえみ
建網の手あみのアバさ泊まってて呑気なケマフレ風に吹かれる
とん/\と不純な音で悠久な海を汚して発動機船ゆく
不器用とは俺でございといふやうな音たててゆく発動機船 51
昭和三年五月二日
シャモの名は何といふかは知らないがケマフレ鳥は罪がなさそだ
ケマフレはどこからくるかいつもの季節にまたやってきた可愛水鳥
人さまの浮世は知らぬけさもまた沖でケマフレたわむれてゐた
人間の仲間をやめてあのやうなケマフレと一しょに飛んでゆきたい
(註・ケマフレとは脚の赤い鳥のこと)
昭和三年五月十二日
喀血のその鮮紅色をみつめては気をとりなほし死んぢゃならない
キトビロを食へば肺病もなほるといふアイヌの薬草いま試食する
これだけの米のあるうちこの病気全快せねばならないんだが
昭和三年六月五日
赤いものの魁だとばっかりにアカベの花が真赤に咲いた
雪どけた土が出た出た花咲いたシリバの春だ山のアカベだ
(註・アカベは高山に咲く赤い花)
熊の肉、俺の血になれ肉になれ赤いフイベに塩つけて食ふ
岩崎のおどは今年も熊とった金毛でしかも大きい熊だ
熊とった痛快談に夜はふける熊の肉食って昔をしのぶ
昭和三年六月十九日
芸術の誇りもたたず宗教の厳粛もないアイヌの見世物
白老のアイヌはまたも見世物に博覧会に行った咄! 咄!
昭和三年八月二十九日
カッコウとまねればそれをやめさせた亡き母恋しい閑古鳥なく
昭和三年十二月三十日
あばら家に風吹き込めばごみほこり立つその中に病んで寝てゐる
永いこと病床にゐて元気なく心小さなおれになってゐる
★1 これらの短歌は北斗の作ではない。「淋しい元気」の中にある、北斗を激昂させたという『北海タイムス』の二首である。草風館版の編集者が間違えたものだと思われる。
★2 小樽新聞にはこの誤植は無い。これも草風館版の編集者が間違えたものであろう。
※95年版『コタン』より
※ほとんどは84年版に収録されていた「落穂帖その1」よりだが、昭和3年4月8日のもの(★3)のみ、95年版で初収録された「落穂帖その二」より。