歌壇の彗星
今ぞたつ
アイヌの歌人
亡びゆく同族の救世主
余市の違星北斗君
握り飯腰にブラさげ出る朝のコタンの空になく鳶の声
暦なくとも鮭くる時を秋としたコタンの昔したはしきかな
ホロベツの浜のはまなす咲き匂ふエサンの山は遠くかすんで
北海道色の濃いこの三首の歌が快律と清新な写実亡びゆく同族と虐げられるアイヌの中から男々しくも乗り出した違星北斗君が日本歌壇へ投じた第一矢がこれである
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彼はまた叫ぶ、高らかに叫ぶ。シヤモへの挑戦として叫ぶ。
俺はただアイヌであると自覚して正しき道をふめばよいのだ
かくさずに「俺はアイヌだ」と叫ぶのも正義の前に立つた喜び
シヤモといふ優越感でアイヌをば感傷的に歌よむやから
彼も亦青春の赤き血に燃えたぎる情熱の児であつた、コタンの革命歌人として、今ぞ同族の救世主となつて火と吐く意気は、舌に筆に、われらの前に大きな驚異を与えやうとするまこと真剣なその姿よ!
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余市にうまれた彼の家は貧しかつた。尋常六年を卒へると、石狩の漁場などに糧を得る労力をさゝげた、その間石に追はれる迫害に彼の思想の一転機は来た、それは十年程前、某新聞の歌壇に
いさゝかの酒のことよりアイヌらが喧嘩してあり萩の夜辻に
わずか得し金もて酒を買つてのむ刹那々々に生きるアイヌら
の歌は遂に彼れを爆発させた、この憤怒は一層反逆思想へ油をかけて燃え上つた、まだ雪深い大正十四年二月、彼は上京して東京府工場協会の事務員に働くことゝなつた、そして絶えず思索方面への錬磨をつゞけ、金田一博士その他の名士の門に出入りした。
◇
今日、演壇に起って叫ぶのも、筆をもてば立派な歌を作るのも、シヤモへの報復の一念に、燃え上がる焔の意気に出発してゐる。かくて再びコタンに帰つてから、彼は同族の遺跡をたづねて、アイヌ人の手になる記録を世にのこさうと白老や日高に徒歩の旅をつづけた
コタンからコタンを廻るも嬉しけれ絵の旅、詩の旅、伝説の旅
オキクルミ、トレシマ悲し沙流川の昔を語れクンネチュップよ
の歌はこゝに生れた。
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高商西田教授のフゴツペの古代文字の学術的研究に対しても、彼はアイヌとしての疑問を抱き、近くその研究を発表するとも聞いた当年二十七歳、彼の未来は恐らく同族の味方として何等かの貢献をさゝげるであらう。
仕方なくあきらめるといふこゝろ哀れアイヌをなくしたこゝろ
強いもの!それはアイヌの名であつた昔に恥よ、さめよ同族
革命歌人違星北斗!われらは暫らく温かいこゝろをもつて、彼の前途に祝福を祈らうではないか(凡)
――写真は違星北斗君
※『小樽新聞』昭和2年12月4日より。
※草風館版『コタン』には、短歌のみ掲載されている。
※青字の短歌は『北海タイムス』に掲載されたものだが、草風館版『コタン』の「新短歌時代」の項には、誤って北斗の短歌として掲載されている。