アイヌの童話 (パシクル)(イカシ)

小樽新聞 昭和三年二月二十七日


 自然のまゝに生活してゐたアイヌは、貯蓄の必要もなかった程、野にも山にも、川にも海にも日用品が満々とありました。食ふことだけは、心配のない時代、それは北海道の遠い昔のことであります。
 いつも/\こんな調子で海の幸山の幸に恵まれるものと安心してゐました。
 ある年のこと、お魚は何んにもとれない、鹿も獲れない。それから木の果も草の根も、限って不作といふ未曾有の大饑饉が、この不用意な原始杜会にめぐりあひました。それだけ人々は、びっくりしました。
 ひもじい思いに死ぬ人も日毎に殖へて来ます。
 ある日のこと、おぢいさんがただ一人で海辺をぶらり/\あるいてゐました。
 遥か向ふのなぎさに「ピカリ」光ってるものが見へました。
「何だらう?」
 いそ/\と近寄って見ますと、波に打あげられた(チイチップ)でした。晴れやかな旭日を受けて銀鱗かがやいてゐるではありませんか。お爺様は大そう喜びました。
 今にもひろはんとしました時、はっと気が附きました。その鮭の傍には、一羽の(パシクル)がゐて、おぢいさんの来たのも知ってゐるのか、それとも知らないでゐるものかその鮭の頭を突ついてゐます。そして逃げやうともしません。よくみると、その烏はまた今年のこの飢饉のためか、もう痩せて/\骨と皮ばかしで、見るも哀れな姿です。
 逃げる元気もないらしいのです。お爺さんはぢっとみつめてゐましたが、可愛想で/\なりません。
「鮭を拾ひましてもこの烏に気の毒ぢゃのう。鮭を発見たのは俺より烏の方が先だった。つまり烏のものだ。そうだ烏のものだ。……でも全部はとうてい食べられまい。そうだ」とひとりいひ独りうなづき
「からすさん/\どうぞこの鮭を半分私に下さいませんか。あなたひとりで残らず食べられないでせう。だからどうぞ私に半分下さいませ。お願でございます」
 鄭重に挨拶して、腰から小刀(マキリ)を取って件の鮭を二ツに身をろし、そして半分は烏に半分は自分が貰って又「イライライケレ」(真に有難う御座います)と、厚く御礼を申述べて鮭の片身を持って吾家をさして急いで帰りました。
 おぢいさんの家はこの(コタン)でも一番貧しい方で、子供もなく、いつも物憂い生活をしてゐる老夫婦でございました。
 今、おぢいさんが大したおみやげを持って帰ったので、おばあさんの喜びはひとかたではありません。その夜は感謝の祈りを捧げて休息しました。
 ひっそりかんとした淋しいコタンも、白々と明け渡りました。
 老夫婦は、さて夜があけた、どれ起きやうか……としてゐるうち誰れやらの声
「おぢいさん/\」
 おや誰かが来たやうぢゃ……
「おぢいさん/\」
「はい……誰ですか」
「おぢいさん/\私は、きのふの烏でございます。きのふは本当に有難うございました。あなたの、御親切は忘れられません。御恩返しに私は何でもノイポロエクス(・・・・・・・)(予感又は予言)をもってお知らせ申します。本日はコタンの浜に大きなフンベ(・・・)(鯨)が漂着いたしますから、早速村中の人をお連れして、お出かけなさい」
 お爺様は大喜びで村中ふれまはりました。一同は歓喜の声をあげ、おぢいさんをほめたゝへました。大きな鯨が沖の方から風と汐とに寄せられてくるんです。
 これは/\神様のお恵みであると喜びました。それから(コタン)(アイヌ)は従来の敬虔な心もちにたちかへりました。
「カアカアカア」
 外の人には只これだけより分りませんでしたが、不思議にも一人お爺様にのみからすの言葉がはっきり分りました。よいことも、不幸なことも前もって烏が伝へてくれるので、おぢいさんは仕合せでした。それから後は、村の人はおぢいさんを誠に尊敬しました。そしてイカシ(翁)イカシと称ぶやうになり老後を楽しく暮したといふことであります。(完)


※95年版『コタン』より