子供の道話


大正十五年九月号

北海道から

           違星北斗


  第一信

色々お世話様になりました厚く御礼申上げます

昨日バチラー八重子様の家に着きました、この村は三百戸ばかりの小さな村です、「アイヌは三十戸ばかりもありませうと思はれましたが漁家と農家と二三戸の商店とです。

平和な村と申しますより淋しい程静な村です

汽車の音が、たまにするだけで海の浪の音が今日はきこえませんが、昨日はゴー/\/\とそこひゞきのあるすごい浪音でした、野には名の知れぬ草花が雲雀のお家となつてゐます、近々中平取方面へ参りたいと思ますそれにしても当家を根拠にしてと存ます、いづれまたお便りします。

 第二信

謹啓

色々お世話様になりまして誠にお有り難う御座いました、この附近をぐる/\視察して近々中に日高国平取方面に参りたいと存じてゐますので遂い失礼してゐました、昨日白老村に参りました、こゝには二十三年前に奈良如翁先生が土人学校を初めて開校された当時の校長であつたと聞かされたゐたなつかしい学校がこゝにあるのです先づこの学校に立寄り今の校長先生にお会いたしました、奈良先生以来五代目の山本儀三郎先生はきはめて立派な性格の持主です、この人格者にして初めて土人教育も成功するもの也と思ました、この学校に来る前にも虻田方面の臼村にも居たそうで とに角 土人教育二十年余も続けて来たお方です、私しは全アイヌ族にかはりて厚く御礼申し上げました、アイヌの教育の実際も初めてみました、そして先生が児童の頭脳から通して将来の観察は私し共の本当にうれしい報告でありました、子供になにかお話しをして下さいと先生よりの御注文なので一寸と困りました、その時すぐ子供の道話を思ひ出しました、あひにくその時は持って行く事を忘れて残念なことをいたしました、こんどはこの道話を一つ教科書にして子供の為になる様なことを宣伝したいと考へてゐます、まだ/\楽観すべきではありませんけれど然し大部私し共の喜ぶべきものがありますこんどあの土人学校のなにか参考になるらしい様なものをお送りしたいと存ます、私しは今アイヌの児童に美しい心を植へて行くには先づ己が一番近い趣味から入れたいと存じます、アイヌの道話的お話しは沢山あります、この間も面白いのをきゝました、まだ原稿には綴りませんがこれなども発表される機会があつてそれを更に逆輸入的にアイヌの方に宣伝したらきつと皆がよろこんでくれはしまいかと存ます、それはそうとしてもあのコタンの学生は七十人程も居ります、それで私しはこの学童の半数でなくとも二十冊ぐらいの子供童話をお送り下さいますことが出来たらどんなにか嬉しいのです、ナーニ、月おくれでもかまひません、古くてもどうでもよいからこの可愛アイヌの子供に寄贈して下さいますならば本当に有りがたい事です、どうぞお願ですお送本下さい白老土人学校は奈良先生と縁拠も深くそして二十三年も歴史を持つてゐます、こんどまた校舎を増築して開講記念会を催して奈良先生をご招待したいと山本儀三郎先生が申してゐます(日時は未だ未定)私しの今居るところヤヱ、バチラー様のお家は大日本聖公会教会です、本日日曜でしたので子供が少数参りました、何より驚いたのは婦人の数多が来たことです、不完全な日本語を使つてゐるメノコ(女)達が神の愛に救はれてゐるのです、文字もよめない人々はいつの間にかアイヌ語ヤクの讃美歌を覚えてそして今日お祈はアイヌ語でやるのです、シヤモ(和人)もまじつてゐますけれどもアイヌのメノコのこの健気な祈をきゝまた見て只私しは驚きの外ありませんでした。

今日はまあこれくらいにして筆ををきます。

 ホロベツのはまのはまなし咲き匂ひ

   イサンの山(向に突出してゐる岬の)の遠くかすめる

  アイヌ小屋あちこちに並びゐて

   屋根草青く海の風吹く

  白老の土人学校訪ぬれば

   かあい子供がニコ/\してる

  奈良先生が土人学校ひらきてより

   二十三年の今もなほある

  コタンに来てアイヌの事をきゝたれば

   はにかみながらメノコ答へり、

  第三信

謹啓

愈御清栄の段奉賀候

小生事御蔭様にて無事に而も労働いたし居候間乍他事御休心被下度候

陳者先般は早速子供の道話二十冊御送り被下れ誠に有りがたく感謝いたし居候

内訳十五冊は白老土人学校(校長山本儀三郎氏)に学生回覧いたさせる可く御送申上候処昨日山本先生より御礼状参り申候西川先生に何卒宜敷く御礼申上被下度と伝言有之候残高五冊は、(長知内学校に三冊荷負小学校一冊、当地平村秀雄氏一、同キノ子、一冊)配本仕候いずれも感謝いたし居候長知内も荷負も白老も皆土人の学校にしてこの有益なる雑誌をこんなに皆様にお分つすることを得たことは誠に嬉しき事に御座候八月号も二十冊御恵送被下度(月をくれにても可)只一ヶ月では本当の宣伝になりませずと存られ申候間右御願申上げ候例のアイヌの道話は目下多忙に附き原稿にするいとまとて無之候小生は最初の予定の如く参らず目下生活の為労働して居候次第にて朝早くより夜遅くまで働きその余暇は雨の日と雖も部落訪問をいたし多忙はとても東京に居たる時より以上にて御座候あまり多忙でとても原稿のまに合ないと考へて居候間

長知内の校長奈良農夫也先生は、有名な奇人か偉人か変人として知られ居候処この程御目にかゝり驚き申候長知内校は公立にて普通の学校にて御座候らへ共実質上和人三人以外は全部土人にて約六十人有之候この学校長はどうみても現代ばなれした奇人にてこの人なればこそ土人学校に十六年も勤続したものに候この先生にはアイヌ語は申すに及ばずアイヌの神詩(カムイユウカラ)などは金田一先生以上(以上は少し申し過ぎかも知れませんが、とにかく)アイヌ通として、アイヌよりも他からも敬せられて居候この先生はアイヌの道話は沢山持つてゐるが、奇人めいた先生は発表(殊に自分の名を書せず)などはめつたにせない人にて御座候先日むりにお願してお話しをきかして下さいと申したが話さなかった、から原稿をお願申候処ローマ字で書いてもよいか(アイヌ語を入れて書くにはローマ字が必要だから)とのことにて御座候。学会よりも注目を集めてゐるこの先生が書いて下さることなら更らに面白いと考へてそれでも結構と申候処まあそうでなくてもよいかしらなどゝ申居候間八月から九月頃には匿名にて先生の御手許に着くことゝ存ますから其の説宜敷く御願い申し上げ候少し変り方がひどい方なんで他から物をたゞもらふ事の大きらひな人にて御座候間若その原稿が御手許に着候ともその代りとして雑誌を送つたりしては奈良先生のお気に入りに不相成候間その点殊に御注意被下度子供の道話は毎月三部づゝ回覧文庫に寄付したく存居候アイヌの生徒、それは可愛ものにて御座候只々この上経済的に伸さねばならぬ事を痛感申候

アイヌの道話(半分白く半分黒いおばけさん)を書きます少し短かいからイヤ、かへつて短編の方が雑誌にはよいかも存ません、近日中記き可申候

こんどの雑誌の配本予定、白老土人学校五、長知内学枝三、荷負(土)小学校三、平取アイヌ幼チ院一、上貫別(土)小学校二、二風谷(土)小学校三、外小生三、(月をくれにても可)お願申し上げるも誠に恐入候らへ共右何卒御願上候 敬白

 白老小学校より

大正十五年十月号

「アイヌのお噺(第一信) 半分白く半分黒いおばけ」

大正十六年(昭和二年)一月号

「アイヌのお噺(第二信) 世界の創造とねづみ」

短歌

 

北斗

  雪よ飛べ風よ刺せナニ北海の

   健児の胆(きも)を練るはこの秋。

  人間の誇はいかで枯(か)るべき

   今ぞアイヌのこの声をきけ。

  アイヌとして生きて死なんとコタン吟

   アイヌ■(ゑ)をかくうれしき淋しさ。

  歓楽も悲哀もなくて只単に

   生きんが為にうよめける群れ

  悪いもの降(くだ)りましたネーと挨拶する

   北海道の雪の朝がた。

昭和二年二月号

北海道秘話魂藻物語 沙流山人

編集人より

昭和二年六月号

「郷土の伝説 死んでからの魂の生活」


違星北斗様より

お手紙いたゞきまして、うれしく拝見いたしました。「子供の道話」は早速、私共の少年部に二たわけにして、廻覧さしてゐます。大そう成績がよいやうですから、これを永続さしたいと念願してます。

 伝説のベンケイナツボの磯のへに

    かもめないてた なつかしい かな

               (北海道 余市)

昭和二年七月号

「烏(パシクル)と翁(エカシ)」

昭和二年八月号

「北海道の熊と熊とりの話」