違星北斗年譜 《北斗誕生以前》

 《》:95年版『コタン』年譜より  青字:関連する出来事  →北斗誕生後

西暦 和暦 年齢 月日 場所 出来事
伝承 沙流アイヌが余市アイヌを襲撃するが、コタンカムイ(梟神)の力によって救われる。
伝承 オタルナイにいた違星家の祖先が、海の神(シャチ)の怒りを買ってを出て漂流し、余市に漂着する。
伝承 北斗の何代か前の主人が海上に漁業に出た時、船中にて恍惚として「霊域」に入り、江戸も樺太も見得たという。神通自在の「ヌプル」になりかけたのであった。その事を他言したため、神は怒ってウエンキンテ(悪霊)を残して立ち去り、それより違星の家には満足な人が生まれないという。(河野常吉「アイヌ聞取書」)
1852 嘉永5 -56 9/11 余市 北斗の祖父・万次郎(ヤリヘ)、伊古武礼喜(イコンリキ)の子として、後志国余市郡川村番外地(のちの大川町)に生まれる。
1853 嘉永6 -55 9/6 余市 北斗の祖母・てい、伊曽於久(イソヲク)の子として、余市郡川村に生まれる。
1854 安政1 -54 - 英国 ジョン・バチラー生まれる。
1859 安政6 -49 - 余市 『林家古文書』「安政六年ヨイチ御場所蝦夷人名前書 控」に、「脇乙名」としてイコンリキ(45歳、北斗の曾祖父)と、その三男ヤリヘ(8歳、北斗の祖父・万次郎)、「土産取」としてイソヲク(北斗の曾祖父)と、その娘てい(7歳、万次郎妻で北斗の祖母)の名前が見える。(万次郎はイソヲクの家に婿養子として入るがこれが後の違星家である)。
1862 文久2 -40 12/15 余市 北斗の父・甚作(セネツクル)、余市郡川村の中里家に生まれる。(のちに違星家に養子に入る)。
1871 M4 -31 9 余市 母・ハル、余市郡川村に生まれる。
1872 M5 -30 6/21 東京 祖父・万次郎、東京芝増上寺にあった「土人教育所」で教育を受けるため上京。(「我が家名」)
成績優秀で、後に開拓使東京出張所に官吏として採用された。
1873 M6 -29 3/15 那覇 伊波普猷生まれる。
10 余市 祖父・万次郎、苗字を許される。イコンリキのイカシシロシ「」から「違星(チガイボシ)」と名づけるが、「イボシ」と読み慣らされてしまったという。(「我が家名」)
1876 M9 -26 4/29 淡路 西川光次郎生まれる。
新潟 山岸礼三生まれる。
この頃 余市 中里徳太郎生まれる。
1877 M10 -25 - 函館 ジョン・バチラー来日。
1882 M15 -25 5/5 岩手 金田一京助生まれる。
1883 M16 -17 - 白老 恩師・奈良直彌、北海道に移住。以後アイヌ児童の教育に専心する。
1884 M17 -18 8/17 大分 後藤静香生まれる。
6/13 有珠 バチラー八重子(向井フチ)生まれる。
1891 M24 -11 5/23 札幌 並木凡平(篠原三郎)生まれる。
1892 M25 -10 1/8 余市 兄・梅太郎生まれる。
1893 M26 -9 2/5 余市 兄(次男)が誕生するが、3/9に死亡。
1894 M27 -8 5/10 余市 姉(長女)ヨネが生まれる。
1895 M28 -7 平取 ジョン・バチラー、平取に教会堂を開く
1896 M29 -6 8/16 余市 姉(次女)ハナが生まれる。
1899 M32 -3 - 平取 ミスブライアント・金成マツ・ナミ平取に赴任
11/23 余市 姉(次女)ハナが死亡。
1901 M34 0(1) 年末? 余市 違星滝次郎(北斗)生まれる。
1902 M35 0 1/1 余市 《一月一日、北斗(本名瀧次郎)、父甚作(文久二年一二月一五日生)と母ハル(明治四年九月生)の間の三男として、余市郡余市町大字大川町に生まれる。父は漁業を営んでいた。兄二人、姉一人、妹一人、弟三人が生まれたが、長兄を除き北斗を含め七人が夭逝している。祖父万次郎はアイヌ最初の留学生として東京芝増上寺に留学し、のちに北海道開拓使雇員となった。》

※1902(明治35)年1月1日は戸籍上の誕生日で、前年に生まれていたと思われる。→年表について

→北斗誕生後