淋しい元気


 北斗は号であって滝次郎と云ひ、小学校は六年級をやっと卒業した。その後鰊場でのカミサマを始め石狩のヤンシュ等で働いた。
 大正七年頃に重病をして思想方面に興味を持つ様になった。十四年二月に東京府市場協会の事務員に雇はれ一年半を帝都で暮した。見る物も聞く物も、私の驚異でないものはなく、初めて世の中を明るく感じて来た。けれどもそれは私一人の小さな幸福に過ぎない事に気附いて、アイヌの滅亡を悲しく思うた。
 
アイヌの研究は同族の手でやりたい、アイヌの復興はアイヌがしなくてはならない強い希望に唆かされ、嬉しい東京を後にして再びコタンの人となった。今もアイヌの為にアイヌと云ふ言葉の持つ悪い概念を一蹴しようと、『私はアイヌだ!』と逆宣伝的に叫びながら、淋しい元気を出して闘い続けて居る。
 
この念願の下に強固な意志を持って真に生甲斐を感じながら。

※テキストは95年版『コタン』より
※初出は不明。執筆されたのは東京から北海道に戻ってきた大正15年7月以降であるとわかる。
※新短歌時代に掲載されたバージョンの「淋しい元気」もある。