「北斗帖」 私の短歌


 私の歌はいつも論説の二三句を並べた様にゴツゴツしたもの許りである。叙景的なものは至って少い。一体どうした訳だらう。公平無私とかありのまゝにとかを常に主張する自分だのに、歌に現はれた所は全くアイヌの宣伝と弁明とに他ならない。それには幾多の情実もあるが、結局現代社会の欠陥が然らしめるのだ。そして住み心地よい北海道、争闘のない世界たらしめたい念願が迸り出るからである。殊更に作る心算で個性を無視した虚偽なものは歌ひたくないのだ。

はしたないアイヌだけれど日の本に
 生れ合せた幸福を知る

滅び行くアイヌの為めに起つアイヌ
 違星北斗の瞳輝く  

我はたゞアイヌであると自覚して
 正しき道を踏めばよいのだ

新聞でアイヌの記事を読む毎に
 切に苦しき我が思かな   

今時のアイヌは純でなくなった
 憧憬のコタンに悔ゆる此の頃

アイヌとして生きて死にたい願いもて
 アイヌ絵を描く淋しい心

天地に伸びよ 栄えよ 誠もて
 アイヌの為めに 気を挙げんかな

深々と更け行く夜半は我はしも
 ウタリー思ひてないてありけり
  
註、ウタリーは同胞     

ほろ/\と鳴く虫の音はウタリーを
 思ひて泣ける我にしあらぬか  

ガッチャキの薬を売ったその金で
 十一州を視察する俺
  
註、ガッチャキは痔

昼飯を食はずに夜も尚歩く
 売れない薬で旅する辛さ

世の中に薬は多くあるものを
 などガッチャキの薬売るらん

ガッチャキの薬をつける術なりと
 北斗の指は右に左に

売る俺も買ふ人も亦ガッチャキの
 薬の色の赤き顔かな

売薬の行商人と化けて居る
 俺の人相つくづくと見る

「ガッチャキの薬如何」と人の居ない
 峠で大きな声だしてみる

ガッチャキの薬屋さんのホヤホヤだ
 吠えて呉れるな黒はよい犬

「ガッチャキの薬如何」と門に立てば
 せゝら笑って断られたり

田舎者の好奇心に売って行く
 呼吸もやっと慣れた此の頃

よく云へば世渡り上手になって来た
 悪くは云へぬ俺の悲しさ

此の次は樺太視察に行くんだよ
 さう思っては海を見わたす

世の中にガッチャキ病はあるものを
 などガッチャキの薬売れない

空腹を抱へて雪の峠越す
 違星北斗を哀れと思ふ

「今頃は北斗は何処に居るだらう」
 噂して居る人もあらうに

灰色の空に隠れた北斗星
 北は何れと人は迷はん

行商がやたらにいやな今日の俺
 金ない事が気にはなっても

無自覚と祖先罵ったそのことを
 済まなかったと今にして思ふ

仕方なくあきらめるんだと云ふ心
 哀れアイヌを亡ぼした心

「強いもの!」それはアイヌの名であった
 昔に恥ぢよ 覚めよ ウタリー

勇敢を好み悲哀を愛してた
 アイヌよアイヌ今何処に居る

アイヌ相手に金儲けする店だけが
 大きくなってコタンさびれた

握り飯腰にぶらさげ出る朝の
 コタンの空に鳴く鳶の声

岸は埋め川には橋がかかるとも
 アイヌの家の朽ちるがいたまし

あゝアイヌはやっぱり恥しい民族だ 
 酒にうつつをぬかす其の態

泥酔のアイヌを見れば我ながら
 義憤も消えて憎しみの湧く

背広服生れて始めて着て見たり
 カラーとやらは窮屈に覚ゆ

ネクタイを結ぶと覗くその顔を
 鏡はやはりアイヌと云へり

我ながら山男なる面を撫で
 鏡を伏せて苦笑するなり

洋服の姿になるも悲しけれ
 あの世の母に見せられもせで

獰猛な面魂をよそにして
 弱い淋しいアイヌの心

力ある兄の言葉に励まされ
 涙に脆い父と別るる

コタンからコタンを巡るも楽しけれ
 絵の旅 詩の旅 伝説の旅

暦無くとも鰊来るのを春とした
 コタンの昔したはしきかな

久々で熊がとれたが其の肉を
 何年ぶりで食うたうまさよ

雨降りて静かな沢を炭竈の
 白い烟が立ちのぼる見ゆ

戸むしろに紅葉散り来る風ありて
 小屋いっぱいに烟まはれり

幽谷に風嘯いて黄紅葉が
 苔踏んで行く我に降り来る

ひらひらと散った一葉に冷めたい
 秋が生きてたコタンの夕

桂木の葉のない梢天を衝き
 日高の山に冬は迫れる

楽んで家に帰れば淋しさが
 漲って居る貧乏な為だ

めっきりと寒くなってもシャツはない
 薄着の俺は又も風邪ひく

炭もなく石油さへなく米もなく
 なって了ったが仕事とてない

食ふ物も金もないのにくよくよするな
 俺の心はのん気なものだ

鰊場の雇になれば百円だ
 金が欲しさに心も動く

感情と理性といつも喧嘩して
 可笑しい様な俺の心だ

俺でなきゃ金にもならず名誉にも
 ならぬ仕事を誰がやらうか

「アイヌ研究したら金になるか」と聞く人に
 「金になるよ」とよく云ってやった

金儲けでなくては何もしないものと
 きめてる人は俺を咎める

よっぽどの馬鹿でもなけりゃ歌なんか
 詠まない様な心持不図する

何事か大きな仕事ありゃいゝな
 淋しい事を忘れる様な

金ためたたゞそれだけの人間を
 感心しているコタンの人々

馬鹿話の中にもいつか思ふこと
 ちょいちょい出して口噤ぐかな

情ない事のみ多い人の世よ
 泣いてよいのか笑ってよいのか

砂糖湯を呑んで不図思ふ東京の
 美好野のあの汁粉と栗餅

甘党の私は今はたまに食ふ
 お菓子につけて思ふ東京

支那蕎麦の立食をした東京の
 去年の今頃楽しかったね

上京しようと一生懸命コクワ取る
 売ったお金がどうも溜まらぬ

生産的仕事が俺にあって欲しい
 徒食するのは恥しいから

葉書きさへ買ふ金なくて本意ならず
 ご無沙汰をする俺の貧しさ

無くなったインクの瓶に水入れて
 使って居るよ少し淡いが

大漁を告げようとゴメはやって来た
 人の心もやっと落ち着く
  
註、ゴメは鴎

亦今年不漁だったら大へんだ
 余市のアイヌ居られなくなる

今年こそ乗るかそるかの瀬戸際だ
 鰊の漁を待ち構へてる

或時はガッチャキ薬の行商人
 今鰊場の漁夫で働く

今年こそ鰊の漁もあれかしと
 見渡す沖に白鴎飛ぶ

東京の話で今日も暮れにけり
 春浅くして鰊待つ間を

求めたる環境に活きて淋しさも
 そのまゝ楽し涙も嬉し

人間の仲間をやめてあの様に
 ゴメと一緒に飛んで行きたや

ゴメゴメと声高らかに歌ふ子も
 歌はるるゴメも共に可愛や

カッコウと鳴く真似すればカッコウ鳥
 カアカアコウととどまついて鳴く

迷児をカッコウカッコウと呼びながら
 メノコの一念鳥になったと
  註、メノコは女子

「親おもふ心にまさる親心」と
 カッコウ聞いて母は云ってた

バッケイやアカンベの花咲きました
 シリパの山の雪は解けます

赤いものの魁だ! とばっかりに
 アカンベの花真っ赤に咲いた

名の知れぬ花も咲いてた月見草も
 雨の真昼に咲いていたコタン

賑かさに飢ゑて居た様な此の町は
 旅芸人の三味に浮き立つ

酒故か無知な為かは知らねども
 見せ物として出されるアイヌ

白老(しらおい)のアイヌはまたも見せ物に
 博覧会へ行った 咄! 咄!!

白老は土人学校が名物で
 アイヌの記事の種の出どころ

芸術の誇りも持たず宗教の
 厳粛もないアイヌの見せ物

見せ物に出る様なアイヌ彼らこそ
 亡びるものの名によりて死ね

聴けウタリー アイヌの中からアイヌをば
 毒する者が出てもよいのか

山中のどんな淋しいコタンにも
 酒の空瓶たんと見出した

淪落の姿に今は泣いて居る
 アイヌ乞食にからかう子供

子供等にからかはれて泣いて居る
 アイヌ乞食に顔をそむける

アイヌから偉人の出ない事よりも
 一人の乞食出したが恥だ

アイヌには乞食ないのが特徴だ
 それを出す様な世にはなったか

滅亡に瀕するアイヌ民族に
 せめては生きよ俺の此の歌

ウタリーは何故滅び行く
 空想の夢より覚めて泣いた一宵

単純な民族性を深刻に
 マキリもて彫るアイヌの細工

アイヌには熊と角力を取る様な
 者もあるだろ数の中には

悪辣で栄えるよりは正直で
 亡びるアイヌ勝利者なるか

俺の前でアイヌの悪口言ひかねて
 どぎまぎしている態の可笑しさ

うっかりとアイヌ嘲り俺の前
 きまり悪げに言ひ直しする

アイヌと云ふ新しくよい概念を
 内地の人に与へたく思ふ

誰一人知って呉れぬと思ったに
 慰めくれる友の嬉しさ

夜もすがら久しかぶりに語らひて
 友の思想の進みしを見る

淋しさを慰め合って湯の中に
 浸れる友の赤い顔見る

カムチャツカの話しながら林檎一つを
 二つに割りて仲よく食うた

母と子と言ひ争うて居る友は
 病む事久し荒んだ心

それにまた遣瀬なからう 淋しからう
 可哀さうだよ肺を病む友

おとなしい惣次郎君銅鑼声で
 「カムチャツカでなあ」と語り続ける

久々に荒い仕事する俺の
 てのひら一ぱい痛いまめ出た

働いて空腹に食ふ飯の味
 ほんとにうまい三平汁吸ふ

骨折れる仕事も慣れて一升飯
 けろりと食べる俺にたまげた

一升飯食へる男になったよと
 漁場の便り友に知らせる

此の頃の私の元気見てお呉れ
 手首つかめば少し肥えたよ

仕事から仕事追ひ行く北海の
 荒くれ男俺もその一人

雪よ飛べ風よ刺せ何 北海の
 男児の胆を錬るは此の時

ホロベツの浜のハマナシ咲き匂ひ
 イサンの山の遠くかすめる

沙流(さる)川は昨日の雨が水濁り
 コタンの昔囁きつ行く

平取(ぴらとり)はアイヌの旧都懐しみ
 義経神社で尺八を吹く

尺八で追分節を吹き流し
 平取橋の長きを渡る

崩御の報二日も経ってやっと聞く
 此の山中のコタンの驚き

諒闇の正月なれば喪旗を吹く
 風も力のなき如く見ゆ

勅題も今は悲しき極みなれ 
 昭和二年の淋しき正月

秋の夜の雨もる音に目をさまし
 寝床片寄せ樽を置きけり

貧乏を芝居の様に思ったり
 病気を歌に詠んで忘れる

一雨は淋しさを呼び一雨は
 寒さ招くか蝦夷の九月は

尺八を吹けばコタンの子供達
 珍しさうに聞いて居るなり

病よし悲しみ苦しみそれもよし
 いっそ死んだがよしとも思ふ

若しも今病気で死んで了ったら
 私はいゝが父に気の毒

恩師から慰められて涙ぐみ
 そのまゝ拝む今日のお便り


※★を付した三首について、バチラー八重子は自分の作った歌だと言っている。
※テキストは95年版『コタン』より