歌の作り方に就て    福田義正  


(前略)

3 異彩を発揮せよ

 よく個性を発揮せよと教へられたものだ。然し個性といつても多く大同小異のものだ。本誌創刊号に口語歌人名当て懸賞といふものがあつたが、応募者に正解者は一人もないらしい。私は悲観した。私達の歌はそれほど類似してゐるのである。感心できない事である。

 同じやうな歌を繰返し読まされることは読者にとつて迷惑なことである。如何に根のいゝ人でも最後には親しみが持てなくなつて、歌を離れてゆくであらう。本誌創刊号には三百六十四首の歌が載つてゐるが、あれを全部忠実に読んだ読者は幾人あらう。事実あれを読了することは可成り大儀な事である。余りに同じ境地の歌が多いから。

 故に、私は個性の発揮といふよりも、むしろ異彩を発揮したいと思ふのである。異彩といつても、徒らに衒つて、斬新や奇抜や珍奇の技巧などで、一時的人目を驚かすやうなものを作りたいといふのではない。歌に異彩を発揮するには左の三項が必要だと思ふ。

 イ、因襲的精神生活から脱却すること。そして、自由の天地に翔けること。

 ロ、常識と概念とを一掃して、物の観方、感じ方を須らく自己独特のものにすること。

 ハ、歌の境地として限られてある垣を飛び越えること。前代歌人未踏の境地はたくさんあるであろう。例へば、現代社会組織や社会道徳に対する反抗の声もいゝだらう。プロレタリヤの苦悶の声もいゝだらう。困却されてゐる民間美術の讃美もいゝだらう。プロレタリヤ生活に潜んでゐる純愛の拡充もいいだらう。

 以上三項を摂取して、熱心に歌作をつゞけるならば、必ずや新生面が展開されるものと、私は信じてゐる。

(中略)

しかたなくあきらめるといふ心、あはれアイヌを亡した心

(違星北斗)

(中略)

以上の歌それ/゛\にある程度の異彩を発揮してゐると思ふ。然し私はもつとすばらしく異彩ある歌が作りたい。そこに作家受難の苦悩がある。(つづく)


※新短歌時代 昭和3年1月号