違星北斗歌集 コタン吟
獰猛な
つら魂を
よそに
して
弱い
淋しい
アイヌの心
(雫歌集第四篇)
しかたなく「諦める」と云ふ心哀れアイヌを亡したこゝろ
たち悪るくなれ? とのことか今の代に生きよと云ふことに似てゐる ※
卑屈にも慣らされてゐると哀れにもあきらめに似た楽しみもある
限りないその寂寥をせめてもに悲惨な酒にまぎらはしものを
いとせめて酒に親しむ同族にこの上とても酒呑ませたい
現実の苦と引き替へに魂を削るたからに似ても酒は悪魔だ!
ホロベツの浜のはまなす咲き匂ひイサンの山の遠くかすめる ※
沙流川はきのふの雨でにごってゝコタンの昔をさゝやく流れ
コタンの夜半人がゐるのかゐないのかきみ悪るい程静けさに包まる
「末世の人間の堕落を憤り人間の国土を見捨てオキクルミ神威は去ってしまった。けれども妹にあたる女神がアイヌの国土を懐ひ泣くと云ふ」神にすてられたアイヌは限りなき悲しみ尽きせぬ悔恨である。今宵この沙流川辺に立って女神の自叙の神曲を想ひクンネチュップ(月)に無量の感慨が涌く。(大正十五年七月二十五日)
オキクルミ。TURESHIトレシマ悲し沙流川の昔をかたれクンネチュップよ ※
やさしげにまた悲しげに唱はれるヤイサマネイナに耳傾ける
面影は秋の夜寒に啼く虫の声にも似てるヤイサマネイナ ※
暦なくとも鮭来るときを秋としたコタンの昔したはしいなあ ※
正直で良い父上を世間では馬鹿正直だとわらってやがる
アイヌ相手に金もうけする店だけが大きくなってコタンさびゆく
アイヌを食いものにした野蕃人あはれ内地で食いつめたシャモ
元より俺はいい男だ、人も許し我も信じ? てゐたものを何たる不都合ぞ? 鏡が。鏡が。
ネクタイを結ぶに伸べたその顔を鏡は俺をアイヌと云ふた
野原をコタンに拓きコタンはシャモの村となり村はいつしか町となった。原始の姿。今何処!? 山は開かれ野は耕され岸は埋立て家は建つ。神秘の光をかき消し、悠久の囁をうばったではないか。聴け!? はぐるまの音それは征服者の勝利を謳ふ………。
岸は埋め川には橋がかゝるともアイヌの家が朽るが痛ましい
アイヌがなぜほろびたらうと空想の夢からさめて泣いた一夜さ
島泊村のアイヌは影もない。どこへ行ったか?(六月二十一日)
アヌタリ(同族)の墓地であったと云ふ山もとむらふ人ない熊笹のやぶ ※
その土地のアイヌは皆死に絶えてアイヌのことをシャモにきくのか
古平町にはもう同族はゐない、只沿革史の幾頁にか名残を止めてゐるにすぎない。なんと云ふ悲しいことであらう。(六月二十二日)
ウタリーの絶えて久しくふるびらのコタンの遺蹟(あと)に心ひかれる ※
朝寝坊の床にも聴かれるコタンでは安々きかれるホトゝギスの声
無茶苦茶に茶目気を出してはしゃいだあとしんみりと淋しさにをそはる
熊の胆で助かったのでその子に熊雄と名附けし人もあります
酒故か無智故かはしらないが見世物のアイヌ連れて行かれた
利用されるアイヌもあり利用するシャモもあるんだ共に憫れむ ※
つくづくと俺の弱さになかされてコタンの夜半を風に吹かれた
ともすれば下手かたまりにかたまりてひとりよがりの俺の愚かさ
逃げ出した豚を追っかけて笑ったゝそがれときのコタンにぎやか
そばの花ゆきかとまがう白サ持て太平無事に咲てゐたコタン
静かアなコタンであるがお盆だでぼん踊りあり太鼓よくなる
汽車は今コザハトンネルくぐったふとこの山の昔しを偲ぶ
我乍ら毛むくじゃらなるつらをなで鏡を伏せて苦わらひする
いつしかに夏の別れよボン踊りの太鼓の音もうら寒いコタン
ひと雨は淋しさをばひと雨は寒さを呼ぶか蝦夷地の九月
桂木の葉のない梢天を突き日高の山に冬が迫った
幽谷に風嘯ぶいて黄もみぢが苔踏んで行く俺にかぶさる
鉄道がシモケホまで通ったので汽車を始めて見る人もある
のむ? ことが何よりのたのしみで北海道がよいと云ふシャモ
ウッカリとアイヌの悪口云った奴きまり悪るげに云ひなほしする
北海道は特色がある、曰く〔おめ(汝)まだあの男と連添てゐるの……? まあ永いネイ……おら3人目だハイ〕これがアッパのアネ子だちの話だ。ヤン衆になるとまだひどい。これが我が北海道の尊敬すべき開拓者か。
借りたもの一回毎に
これがシャモだいはんやアイヌに於てをやだまされ慣れるに於てをやだ
歓楽も悲哀もなくて只だ単に生きんが為にうよめける群
アイヌとして生きて死にたい願もてアイヌ画をかく淋しいよろこび
今時のアイヌは純でなくなった憧憬のコタンにくゆる此の頃 ※
希望! あゝ希望に鞭うって泣いてゐないで飛出して行け
シャモになる前にひとまづ堂々とアイヌであれと鉄腕を振る
人間の誇は如何で枯るべき今こそアイヌの此の声をきけ ※
正直なアイヌだましたシャモをこそ憫れなものとゆるすこの頃 ※
アイヌ! と只一言が何よりの侮蔑となって憤怒に燃る
ナニッー糞でも喰らへと剛放にどなったあとの淋し―――い静
言葉本来の意味は久しく忘れられてナンたる侮辱の代名詞になってゐることであらう――同化への過渡期だ――世の浮薄な概念を一蹴するために故意に「俺はアイヌだ」と云ってのける――反動思想だ――自分では何も彼も分ってゐながら……まだ修養が足りない……不甲斐なさを自嘲する。
淋しいか? 俺は俺の願ふことを願のまゝに歩んだくせに ※
開拓の功労者の名のかげに脅威のアイヌをのゝいてゐる ※
不景気は木のない山を追って行く追れるやうに原始林伐られる ※
美術は慰安である。その製品は生活費としてかすかに助けてゐたのだ。然るにこの幾何にもならないアイヌ細工は今やどうなってゐるか。あくことなき魔の手はアイヌの手からさへアイヌの細工を奪ってしまった信州の山中に。札幌に。函館に。小樽に。而もシャモの手によって製作されてそれが現代のアイヌ細工であるとは……。
単純な民族性を深刻にマキリで彫るアイヌの細工
強きもの! それはアイヌの名であった昔に耻よ醒めよ
勇敢を好み悲哀を愛してたアイヌよアイヌ今どこにゐる ※
俺はただアイヌであると自覚して正しい道を踏めばよいのだ ※
悲しむべし今のアイヌは己れをば卑下しながらにシャモ化して行く ※
罪もなく憾もなくて只たんにシャモになること悲痛なことよ
アイヌの中に隔世遺伝のシャモの子が生れたことをよろこぶ時代 ※
不義の子でもシャモでありたい○○子の心のそこに泣かされるなり ※
正直が一番ン偉いと教へた母がなくなって十五年になる
余市の海辺……語る人なく消る伝説……。
伝説のベンケイナツボの磯のへにごめがないてたなつかしい哉
シリバ山もしそにからむ波だけが昔しを今にひるがへしてる ※
シャモの名でなんと云ふのか知らないがケマフレ(足赤)テ鳥は罪がなさそだ
人様の浮世は知らず。今日もまた沖でかもめの声にたはむる
不器容とは俺でございと云ふやうな音やかましい発動機舟
増毛山海の雪頂いて海のあなたシベリア颪に突立ってゐる
ひら/\と散った一葉に冷めたァい秋が生きてたコタンの秋だ
凸凹のコタンの道の砂利原を言葉そのまゝのがた馬車通る
シャモと云ふ小さな殻で化石した優越感でアイヌ見に来る ※
シャモと云ふ優越感でアイヌをば感傷的に歌よむやから
日本に自惚れてゐるシャモ共の優越感をへし折ってやれ
アイヌは単なる日本人になるじゃない神ながらの道に出て立て
まけ惜みも腹いせも今はない只だ日本に幸あれと祈る
はしたないアイヌだけれど日の本に生れたことの仕合せを知る
堂々と「俺はアイヌ」とさけぶのも正義の前に立ったよろこび ※
雪よ飛べ風よ刺せナニクソ北海の男児の胆を錬磨するんだ!
※1954年に違星北斗の会が発行した『違星北斗遺稿集』によれば、一部の歌の上に「違星自らが雑誌の歌稿にインクで」○印を付していたという。(※を付した歌である)。
※95年版『コタン』より