ローソク岩と兜岩

『あけゆく後方後志』所収


「あれ!赤い火が沖を飛ぶ、焔のように乱れ飛ぶ、ズート列をなして沖の方へ飛んで行く。早い、早い、実に早い何だろう。この暴風雨に海へ出ている舟もなかろうに……。不思議だなァ……。」

余市町に近い寂しい海辺、星一つない真っ暗な沖合いに、赤い一列の灯が乱れ飛ぶのを見ながら、村の者は物の怪につかれたように、恐れ騒いでいた。

この村に勇敢な若者があった。赤い灯が飛んだ夜……、彼は不思議な夢を見た。美しい月夜だった。彼は沖へ出て釣りをしていた。グイグイ強い手応えと共に竿を上げようとしたが動かぬ、あせればあせる程、彼は強い力で底の方へ、グングン引かれ、いつの間にか、彼は底知れぬ深い暗いところに引き入れられるような気がした。彼の前には大きな岩の門が立っている。彼は入って見た。そこには彼の空想だにしたことのない壮麗な城があった。二匹の大きな魚が門の両側に楯を持って立っていた。そして彼をうながした。奥に入ると広い。恐ろしく立派な部屋に出た。そこに微笑んで立っている美しい女を見た。華やかな装い。しかしどこかに愁色が漂っていた。

「人界の御殿とお見受け申します。わたしはこの奥の王城の女神ですが、どうか折り入って私の願いをきいて下さい。そしてあなたの御力を貸して下さい。」こう云った女神の愬(うった)うるところに依れば、ここ十数日毎夜々々海の怪獣が列をなして押し寄せ、王城の魚を奮(ママ)って行く。男の神様でも居れば退治することも出来ようが、生憎遠国へ出かけて留守だから、あなたのお力でその怪獣を退治してくれ、成功すればお礼として毎年夥しい銀色の鰊をあなたの村へ贈るというのである。

「ハテ不思議だ。さてはあの赤い灯は怪獣の行列であったか。」日頃夢など信じたことのない彼ではあったが、この時ばかりはこの夢が妙に気になって仕方がなかった。何だか不思議な予感が波立ったのであった。

その日村の農夫が耕やしていると、何か硬いものがカツンと鍬にあたった。掘り返えして見ると、立派な青銅造りの兜と氷のような剣だった。土の中にあったにも拘わらず、剣は不思議にピカピカ光っていた。

「これはデッカイものを掘り出した。」噂を聞いて若者は、カムイの使者に聞いた。「これはあの女神があなたの勇気を頼んで、この不思議な武器を下さったのぢゃ。」若者の怪獣に対する恐れは、この一言で全く消え去った。彼はその厳しい武器を見た刹那、何んとなくその武器をもって力の限り戦って見度(みた)い心が、漲り湧くのを覚えた。数日の後、選りすぐった三十人の勇士が熊の皮に身を固め、手に手に槍を持って勇しく

浜を船出した。船頭には神秘の兜をつけ、降魔の利剣をひらめかした若者の姿が雄々しく見られた。舟は余市の沖を北へ北へと進む。月は既に落ちて月のない大空には北極星が寂しく光っていた。彼等は赤い灯を……真っ暗な海を一列に乱れ飛ぶ不思議な灯を待った。

その時、東の方に一点の赤い灯がポッカリ浮んだ。一つ、二つ、三つ、灯は忽ち数を増し、夥しい列をなして、真一文字に乱舞し、旋回しつつ押し寄せて来た。そして恐ろしいこの世のものとも思えぬ叫声をあげながら、物凄い勢いを以って船に肉迫して来る。剣は暗に閃く、槍は流れる。矢は波頭を切って飛ぶ。恐ろしい戦いは始まったのだ。若者は霊剣を滅法に振り廻したが、何の効果もなかった。バタリバタリ凄まじい音を立てながら、味方の漁夫は船から海へ怪獣のために斃(たお)されて行く。若者は死者狂いだった。怪獣は益々その狂暴な底力を発揮し暴れ廻わる。その時叫喚の音の絶え間に鋭い声が彼の耳を打った。

 「剣を潮にひたせ、その剣を」彼は夢中になって剣を海中に入れた。時しも怪獣の一つは恐ろしい力を以って彼の首を引き抜こうとする時だった。不思議なるかな、この時剣は急に灼熱して光りを増した。と思うと怪獣は奇異な叫びを発して、何処ともなく退却した。かくして戦いは終わった。海は静まった。しかし何んたることであろう。若人はそれから村には姿をみせなかった。その事件があって五日目であった。一人の男が「オイオイ皆来イ!」眠りから覚めた人達は彼の指さす方向を見た。不思議にも若者がかぶっていた赤銅の兜がポッカリ浮いている。そして更に不思議なことには、彼の腰にさしていた剣は突き立っているではないか。このことがあってから、余市は毎年のように鰊が押し寄せて村は豊かにすごすことが出来た。一方を兜岩、一方をローソク岩と村人は呼んでいるが、それは怪物を退治した記念の兜と剣の化石である。


※鍛冶照三『あけゆく後方後志』より