『小樽新聞』違星北斗追悼記事  稲畑笑治


アイヌの歌人 違星北斗君の死を悼む 

  稲畑笑治

にぎり飯
腰にぶらさげ
出る朝の――
コタンの空に
鳴く鳶の声

アイヌの歌人違星北斗君が最後の地上に遺した芸術の片鱗である。
勇敢を好み悲哀を愛してゐた違星北斗君が、淋しい自嘲の――病床に呻吟しながら蝕まれてゆく自己の運命をどうする事も出来なかつた、短い生涯――最後まで寂しい一個の存在であつた。一昨年秋、余市コタンに彼を訪ふた時僕のために贈つてくれた「コタン吟」の一首が今はなき北斗君を彷彿するが如く貧しい僕の書斎をうるほしてくれてゐる、当時、違星北斗君の歌壇的出現は全国的の驚異であった、それは歌壇といふ狭隘なグループのかん嘆ではなく、寧ろ亡びゆく民族の救世主として彼の思想的転換への奮起である

しかたなくあきらめるといふ心あはれアイヌを亡したこゝろ

強いものそれはアイヌの名であつた昔に恥よ、さめよ同族

正直なアイヌをだましたシャモをこそあわれなものとゆるすこの頃

シャモといふ優越感でアイヌをば感傷的に歌をよむやから

この頃はまだ、歌のスタイルさへ定まらぬ啓蒙期にありながら、その内容こそ――アイヌとしての反逆思想への序幕といつたものが深く浸潤してゐる。アイヌの滅亡――それも彼にとつては深い衆生の痛恨であり悲しい現象であつたに違ひない

アイヌ相手に金もうけする店だけが大きくなつてコタンさびれた

暦なくとも鮭くる時を秋としたコタンの昔したはしきかな

コタンからコタンを歩くもうれしけれ詩の旅、絵の旅、伝説の旅

暗い死に直面しつゝも彼の詩想は絶えず思想的な感傷に踏込まうとしてゐるのではないか、然し何人が彼の感傷を残酷に批評しうるだらうか。
昨夏、フゴツペの「古代文字」に対しても彼はアイヌとして西田教授の机上の学説に就いて質疑を追究し堂々その論陣を後悔して面目を躍如たらしめたことも世人の記憶になほあらたである。
新短歌時代の隆盛をおう歌し中央歌壇の渋滞を冷顔視しつゝ躍進する本道歌壇において彼の死去こそ無二の損亡であらねばならぬ。幾多の郷土芸術の真価を高揚しアイヌの歌人として歌壇に独自の境地を開拓した彼の生涯こそ華やかにもまた淋しい元気の終局でもあつた。吾れ/\はとまれ、郷土芸術史上に薄幸なる歌人北斗君をして永劫にその存立を讃へてやまぬものである。 ― 二月五日夜記


※小樽新聞 昭和4年2月18日 月曜日 6面 学藝欄 より