日記の短歌
(昭和2年)
7月14日 |
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五十年伝道されし此のコタン
見るべきものの無きを悲しむ |
1 | |
平取に浴場一つ欲しいもの
金があったら建てたいものを |
2 | |
8月2日 | 熟々と自己の弱さに泣かされて
又読んで見る「力の泉」 |
3 |
8月4日 | 先生の深きお情身に沁みて
疲れも癒えぬ今日のお手紙 |
4 |
8月28日 | 叔父さんが帰って来たと喜べる
子供等の中にて土産解くわれ |
5 |
(昭和3年)
2月29日 |
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永劫の象に君は帰りしか
アシニを撫でて偲ぶ一昨年 |
6 | |
4月25日 | 喀血のその鮮紅色を見つめては
気を取り直す「死ぬんぢゃならない」 |
7 |
キトビロを食へば肺病直ると云う
アイヌの薬草 今試食する |
8 | |
見舞客来れば気になるキトビロの
此の悪臭よ消えて無くなれ |
9 | |
これだけの米ある内に此の病気
癒さなければ食ふに困るが |
10 | |
5月8日 | 熊の肉俺の血となれ肉になれ
赤いフイベに塩つけて食ふ |
11 |
熊の肉は本当にうまいよ内地人
土産話に食はせたいなあ |
12 | |
あばら家に風吹き入りてごみほこり
立つ其の中に病みて寝るなり |
13 | |
希望もて微笑みし去年も夢に似て
若さの誇り我を去り行く |
14 | |
5月17日 | 酒飲みが酒飲む様に楽しくに
こんな薬を飲めないものか |
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薬など必要でない健康な
身体にならう利け此の薬 |
16 | |
6月9日 | 死ね死ねと云はるるまで生きる人あるに
生きよと云はれる俺は悲しい |
17 |
東京を退いたのは何の為
薬飲みつゝ理想をみかへる |
18 | |
7月18日 | 続けては咳する事の苦しさに
坐って居れば縄の寄り来る |
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血を吐いた後の眩暈に今度こそ
死ぬぢゃないかと胸の轟き |
20 | |
何よりも早く月日が立つ様に
願ふ日もあり夏床に臥し |
21 | |
10月3日 | 永いこと病んで臥たので意気失せて
心小さな私となった |
22 |
頑強な身体でなくば願望も
只水泡だ病床に泣く |
23 | |
アイヌとして使命のまゝに立つ事を
胸に描いて病気を忘れる |
24 | |
10月26日 | 此の病気俺にあるから宿望も
果たせないのだ気が焦るなあ |
25 |
何をそのくよくよするなそれよりか
心静かに全快を待て |
26 | |
12月10日 | 健康な身体となってもう一度
燃える希望で打って出たや |
27 |
12月28日 | 此の病気で若しか死ぬんぢゃなからうか
ひそかに俺は遺言を書く |
28 |
何か知ら嬉しいたより来る様だ
我が家めざして配達が来る |
29 | |
(昭和4年)
1月6日 |
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青春の希望に燃ゆる此の我に
あゝ誰か此の悩みを与へし |
30 | |
いかにして「我世に勝てり」と叫びたる
キリストの如安きに居らむ |
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世の中は何が何やら知らねども
死ぬ事だけは確かなりけり |
32 |
※95年版『コタン』日記より