三百年も昔であったら、人間の数も、熊の数も、或は大差なかったかも知れない。
熊、熊、熊!
これだけでも、荒涼たる、蝦夷が島を偲ばせて余りある程、熊と北海道は縁が深い。
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石狩の浜増コタンに春は訪れた。カモメなく平和なコタンの人々は鯨大漁の喜びに満ちて夜となく昼となく働らいてゐた。突如!巨熊が現れて、平和な里に大なる恐怖の波紋を伝播して、ひらめく大漁旗の旗風にも人々は、熊の不安を直感したのである。それは単なる、噂ではなかった。白昼出没する数頭の熊は、ニシン粕をひっくり返す水に浸してをいた「キリコミ」(北海道名物すし鰊と共に独特な料理)を木桶のまゝ持って行く。かずのこの俵を「やっこらさ」とも何とも云はずに、ひっかついで悠々と山に運ぶ。「危ふきに近よらぬ」にはか君子は武者ぶるいしてゐるのみで誰ひとり働らき手がない。親方(漁場の主人)は、とほうに暮れてゐた「この熊を退治する者はないか」と。
その頃、上場所(石狩や後志方面)で鬼と呼ばれた剛傑、与兵衛と云ふアイヌの青年があった。(積丹の来岸の人で当時小樽港に石工をしてゐたのだ)「与兵衛を頼む」より上策はないと親方は早速、与兵衛を呼び寄せることになった。
走せ参じた与兵衛は、巨熊一頭を射止めた。その次の日も一頭、また一頭……。人々は与兵衛の手腕に驚き亦信頼した。出る熊、出る熊皆んなやっつけたので、その後だん/゛\現れなくなった。――人々は今まで後れかした仕事を取りかへす意気込みで一せいに働らき出した。熊が出ないかと、毎日の様に与兵衛は歩哨に立ってゐたので人々はやっと安心した。
かうして十数日を過ごしてゐるうち、熊の怖ない話も、忙しい仕事に追れて、いつしか忘れられてゐた。或る日の事番人(支配人又は番頭)が所用あって倉庫に入った。が、間もなくキャッと声をあげて逃げて来た。
「ヨッヨッ与へ与兵…」
ろくろく口もきけなかった。
「タ大ッ大変だッおやじ(熊のあだ名)がローカ(倉庫)に寝てゐた……ハヤク/\」
「そうでしたかようございます」と与兵衛は倉庫の戸を堅く〆切って、窓もしっかり〆切り、どこからも熊が出られないやうにして置いて、其の日は熊退治に倉庫に入らなかった。人々はなぜ明るい中ち熊退治せないだらう?「きっと与兵衛も怖かなくなったんだベエ」と、口々に云ってゐました。与兵衛はめしを食って昼寝する。――日の永い春の日も、とっぷり夜のとばりに包まれて、あやしく光る月影を、夜なく鴎の海に落とした頃、与兵衛は、そっと寝床をぬけ出してオンコの木の弓(三尺五六寸)に毒矢をちがい、只一人件の倉庫へと忍んで行った。ばんや(漁舎)では与兵衛の今出て行ったのは、それとさとってゐる者の中にはあったが?、夜は静かである。こっそり戸を開けてそっとしめてローカの中に黒影が忍び入った。与兵衛である。自衛の本能が発達してゐる熊は、第一に目が早い。第二に耳が敏活である。第三に嗅覚が鋭いのである。だから此の際侵入者のあったことは無論知ってゐたに違いない。たとへ物蔭に忍びよるとも、その微かな音を聴きわけかぎわけて……そして見つかったら最後だ。
一歩はぬき足、一歩はさし足……。
暗い/\暗闇の、そして広いローカに猛獣の在りかを探ねて……。
赫つ!! と燃え上った火の玉二ッ?と見へしは正しく熊の眼光である。満月に引きしぼられた半弓から、フッ!と離れた矢はあやまたず、火の玉一つをかき消した。俄然天地をゆるがし咆哮一声、ドーシン!!! 熊は倒れた。烈火と燃ゆる火の玉一つが、憤怒の力ニシン粕の俵をはねのけ、すざまじい勢で与兵衛目がけて飛びかゝった。流石は与兵衛、早くも第二の矢は、急所にグザツとばかり立ってゐた。ドタンバタン、ドッシーン。怒号して何物かを、かぢる音がガリッガリッと妖音暗夜に漂ふ。――戸外にさっと走り出でた与兵衛、「おゝいおい――鬼熊首尾克く打ちとった!!カンバのあかり持って来――い」
大音声によばゝれば、かばの木の皮のたいまつを手に十数人が倉庫にやって来た。ガリッ…グワリッ……ウヲフウヲヲ…。「そらッまだ生きてら……ワアワア……」
と、逃げかゝるを、与兵衛は呼び止め
「心配するなもう大丈夫だ、どれ/\たいまつを一つ貸してくれ」
熊に止め矢をモー一本射って――其の夜はそれで休んだ。ナゼ昼に入らずに夜行ったんだらうと人々は考へてもみたが、与兵衛の剛胆と智謀に敬服した。……その後も数頭の荒熊を獲ったので、誰れ云ふとなく、鬼熊与兵衛と云はれる様になった。(与兵衛の妻は鬼神とも歌はれた女傑で夫婦そろつて巨熊を退治したと云ふ珍談も豊富だがいづれ機会をみてお話し申しますが今でも上場所で六十才以上の人にはたいてい知られてゐる。それは単に強いばかりでなく、弱いアイヌの中に珍らしくも男子気があったのだから)
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偖て、与兵衛の話、それは去年やおどゞしの話ではない。実に今を去ること七十年も昔のことである。ならば今は我北海道に熊はいったいどれ位居るであらうか?。永劫この通り変るまいと思はせた千古の密林も、熊笹茂る山野も、はまなしの咲き競ふ砂丘も、皆んな原始の衣をぬいでしまった。山は畑地に野は水田に、神秘の渓谷は発電所に化けて、二十世紀の文明は開拓の地図を彩色してしまった。
熊、熊! 野生の熊!!
その熊を見たことのある現代人は果して幾程かあるであらうか?。――本道人は千人に一人も熊をみたことがあるだらうか?。内地の人に聞かせたい。私の父は熊と闘かった為めに、全身に傷跡が一ぱいある。熊とりが家業だったのだ。弓もある、槍もある、タシロ(刄)もある。又鉄砲もある。まだある、熊の頭骨がヌサ(神様を祭る幣帛を立てる場所)にイナホ(木幣)と共に朽ちてゐる。それはもはや昔しをかたる記念なんだ。熊がゐなくなったから……。「人跡未到の地なし」と迄に開拓されたので安住地と食物とに窮した熊は二三の深山幽邃の地を名残に残したきり殆んど獲り尽くされたのである。―熊が居なくなった。本場であるべき吾北海道だのに「熊は珍らしい」と云ったら、内地の人は本当にするか?。
※95年版『コタン』より