熊の話をせよといふことであります。
一体アイヌと申しますと、いかにも野蛮人の様に聞えます。アイヌの宗教は多神教であります。万物が凡て神様であります。一つの木、一つの草、それが皆んな神様であります。そこには絶対平等――無差別で、階級といったものがありません。私の父は鰊をとったり、熊をとったりして居ります。この熊をとるといふことは、アイヌ族に非常によろこばれます。といふわけは、熊が大切な宗教であるからであります。熊は人間にとられ、人間に祭られてこそ真の神様になることが出来るのであります。従って、熊をとるといふことが、大変功徳になるのであります。その人は死んでからも天国で手柄になるのであります。さういふわけでありますから、アイヌは熊をそんなに恐れません。私の父、違星甚作は、余市に於ける熊とりの名人です。何でも十五六年も前のことでした。こんな時代になると、熊取りなんどといふ痛快なことも段々出来なくなるので、同じ余市の桜井弥助と相談して、若い人達に熊取りの実際を見せるために、十四五人で一緒に出掛けて行きました。三日間も山の中を歩き廻りましたが、一頭も出会ひませんでした。今年父は五十幾つになって居ります。当時は四十代でありましたから、なかく足が達者でした。弥助も足が達者でした。木の下をくじるとか、雪の上をカンジキはいてあるかしては、とても二人にならんで歩く様な人はありませんでした。いつでも二人に遅れ勝ちで、二人は一行を待ちながら歩くといった具合でした。シカリベツといふ山にさしかゝりました。弥助は西の方から、父は青年をつれて南の方からのぼりました。例によって父は一行にはぐれて歩いて居りました。所が父の猟犬が父の前に来て盛んに吠え立てます。父はすっかり立腹して了って、金剛杖(クワ)で犬をたゝきつけました。犬はなきながら遠ざかって行きました。程経て父の前にやって来て、また盛んに吠え立てます。狂犬になったのではないかと心配しながら又たゝきつけますが一寸後へ下るばかり、盛んに吠え立てます。今まですっかり気の附かなかった父の頭に、熊でも来たのではないかしらといふ考へが、ふいと浮んだので、ふりかへって見ると、馬の様な熊がやって来て居りました。それはもう鉄砲も打てない近い所に、じり/\と足もとをねらって居るのです。咄瑳に父は
所で、それ程の大傷が存外早く癒ったことを特に申し上げなければなりません。それはアイヌの信仰から来て居るのでありまして、つまり熊は神様だ、決して人間に害を加へるものではない――といふ信仰が傷の全治を早からしめるのであります。
かうした場合、アイヌの宗教上、アイヌは熊をのろひます。そして、熊をのろふ儀式が行はれるのであります。
其の後、父は熊狩りに懲りたかと申しますのに決してさうではありません。大正七年の「ナヨシ村」の熊征伐を初めとして、その他にも
先程も申しました様に、熊は人間にとられ、人間に祭られてこそ、初めて真の熊になるからであります。
皆さん、お忙しい中をお聞き下さいまして有難う御座いました。
その他色々と面白い話もありますが、今晩は大分遅くなりましたので、これだけにして置きます。有難う御座いました。
――鳩里筆記――
※95年版『コタン』より