後記 (『違星北斗遺稿集』)

木呂子敏彦


 はじめ違星北斗の歌碑建設を思いたつに至つたのは、二風谷小学校のPTAの方々がわざわざ札幌まで出かけてこられて、小学校の改築設計について協力して貰いたいと申出を受けてからのことです。四十年の長きにわたりこの部落の小学校校長をされたという黒田彦三先生の偉業を引きついだ現校長の穂坂徹先生、この方がまた立派な教育者で実に献身的に全部落の信望を只一身に集めておられる方です。是非この改築を機会に学校給食、浴場、理髪、診療設備、図書館、を設け、便所もできるなら水洗便所にしたいというお話。これには驚きもし、感心もいたし、こういう立派な理想であるならば私も全力を打ちこんでお手伝いをしてよいと決心してお引受けいたしたわけです。その際、たしか違星北斗の日記の中に、二風谷に於て彼の事業計画があり、「平取に浴場一つ欲しいもの金があったら建てたいものを」という歌が、私の追憶の中に切々として湧いてきたのであります。少年の日に北斗の遺稿集を手にし強い感銘を受けた私は、彼の遺志のためにもこの仕事を完成したい。このことから彼の志を顕彰するためにもと、歌碑建設の計画となつた次第です。黒田彦三先生の顕彰碑も同時に建てることになつていますが、皆様のお力添えをお願いいたします。(木呂子)