「コタン」とは?


 コタン……なんといふ、やさしいひゞきの言葉でせう。

 コタン。コタン……おゝそこには、辛辣な悪党があるでせうか。

 気の毒な乞食があるでせうか。いゝえ、ありません。

 心そのまゝの言葉と正直な行とがあるばかりです。    (「はまなし涼し」)


 「コタン」とは、アイヌ語で「村」とか「里」という意味です。

 違星北斗は、この言葉に何か特別なイメージを持っていたようで、幼なじみの中里凸天とともに出版した、ガリ版刷りの同人誌の名前に『コタン』と名付けています。

 その中で、北斗は知里幸恵(ちり・ゆきえ)の『アイヌ神謡集』の「序文」を引用しており、掲載に際して、この「序文」にも、「コタン」いう表題を付けています。

 知里幸恵は金田一京助のアイヌ語研究に協力し、『アイヌ神謡集』を遺して19歳で亡くなったアイヌの少女です。北斗は東京時代、金田一京助から幸恵の話を聞き、『アイヌ神謡集』を読んで強い衝撃と感銘を受けていました。

 知里幸恵はこの『アイヌ神謡集』の「序文」の中で、和人が入ってくる前の、アイヌの自由の天地であった頃のアイヌモシリ、北海道の大自然の姿と、先祖の天真爛漫な生活をうたいあげました。また、一転して、和人になにもか奪われたのち、「亡びゆく弱き者」の烙印を押された同族の現在の境遇を嘆きました。そして、知里幸恵は望みを未来につなぎます。「敗残の醜をさらしている私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら」と祈ります。

 北斗は、なぜ、この知里幸恵の「序文」を、自らの同人誌『コタン』の巻頭に掲げ、さらに誌名と同じ「コタン」とタイトルをつけ加えたのでしょうか。

 『アイヌ神謡集』を読んだことのない読者は、この「コタン」というタイトルは、最初から知里幸恵によって付けられていたと思うかも知れません。引用(転載)に際して、新たに別のタイトルを付けるというのは、普通に行われることではありません。それを、あえてやっているところに、北斗の意図があり、意味があるのだと思います。

 北斗は「アイヌという新しくよい概念を内地の人に与えたく思う」と詠みました。この短歌に表れているように、北斗は言葉に付随するイメージや概念は不変ではなく、人為的に変えられるものなのだということを、知っていたのです。

 ですから、北斗はアイヌという言葉に「良い概念」を込めようとしたのと同じように、「コタン」という言葉の概念の中に知里幸恵の「序文」の世界を、その未来への「祈り」とともに込めようとしたのだと思います。

 知里幸恵が描き出したのは「失われた楽園」、理想郷としてのコタン、過去のアイヌの自由な世界の姿でした。それが「コタン」です。そしてまた、知里幸恵の嘆いた現在(当時)のコタン、打ちひしがれた同族の姿でもあります。

 違星北斗は、この知里幸恵の描いた過去と現在(当時)のアイヌの世界を、「コタン」と名付けました。そして、知里幸恵の「コタン」を、その込められた未来への祈りまでも、全身全霊で引き受けて立ったのです。