コタン吟(其の二) 十一州浪人


フルビラ村にて

ウタリーの消滅(たえ)てひさしく古平(ふるびら)のコタンの遺跡(あと)に心ひかるゝ

アヌタリー(同族)の墓地でありしと云ふ山も とむらふ人なき熊笹の藪

海や山そのどっかに何かありて知らぬ昔が恋しいコタン

余市の海辺

伝説のベンケイ・ナツボの磯のへに かもめないてた なつかしいかな

シリパ山のもすそにからむ波のみは昔をいまにひるがへすかな

ゴメ/\と声高らかに唱ふ子もうたはれる鴎も春のほこりよ

同化への過渡期

悲しむべし今のアイヌはアイヌをば卑下しながらにシャモ化してゆく

罪もなく憾もなくてたゞ単にシャモになること…………悲痛なるかな

アイヌの中に隔生遺伝のシャモの子が生れたことを喜ぶ時代

不義の子でもシャモでありたいその人の心の奥に泣かされるなり

侮蔑?!

「ナニッ!! 糞でも喰へ」と剛放にどなったあとの寂し―――い静

やたらにシャモの偉さをふりまはしてる低級なシャモの小面にくし

日本に自惚れてゐるシャモどもの優越感をへし折ってやれ

反省して

淋しいか? 俺は俺の願ふことを願のまゝに歩いてるくせに

俺はたゞアイヌであると自覚して正しき道を踏めばよいのだ

アイヌは単なる日本人になるなかれ神ながらなる道にならへよ

まけ惜しみも腹いせも今はなし唯日本に幸あれと祈る


※95年版『コタン』より
※コタン吟(その2)となっているが、「その1」がどれにあたるかわからない。コタン吟というタイトル自体は、『志づく』や『新短歌時代』にもあるが、いずれもこの(その2)よりも後の発表である。「その1」は同人誌『コタン』の前身である『茶話誌』にあったのかもしれない。