コタン」 キーワード歌集


※「コタン」とはアイヌ語で村・集落などを意味する。北斗はこの言葉に特別の思い入れがあったようで、中里凸天とともに発行した同人誌に『コタン』という誌名をつけており、なおかつその中に「知里幸恵」の『アイヌ神謡集』の序文を引用して、それに「コタン」というタイトルを新たに付けている。これは幸恵の「序文」の世界をまるごと「コタン」という言葉に込めるという意図があったのであろうと推測される。北斗の死後出版された遺稿集にもまた「コタン」というタイトルが付けられた。この「コタン」という概念こそ、違星北斗の思想を読み解く上で、欠かせないものであるといえる。

『医文学』大正15年9月1日号

沙流川のせゝらぎつゝむあつ霰夏ほ寒し平取コタン。


『医文学』大正15年10月1日号

書中俳句(二風谷より)

川止めになってコタン(村)に永居かな


『コタン』「日記」昭和2年7月14日

五十年伝道されし此のコタン
見るべきものの無きを悲しむ

平取に浴場一つ欲しいもの
金があったら建てたいものを


同人誌『コタン』「コタン吟」昭和2年8月10日

ウタリーの消滅(たえ)てひさしく古平(ふるびら)のコタンの遺跡(あと)に心ひかるゝ

海や山そのどっかに何かありて知らぬ昔が恋しいコタン


『小樽新聞』昭和2年10月25日

暦なくとも鮭くる時を秋としたコタンの昔慕はしくなる

握り飯腰にぶらさげ出る朝のコタンの空でなく鳶の声


『小樽新聞』昭和2年10月28日

同族の絶えて久しく古平のコタンのあとに心ひかれる


『新短歌時代』昭和2年11月号

暦なくとも鮭来る時を秋としたコタンの昔 思ひ出される

ニギリメシ腰にぶらさげ出る朝のコタンの空でなく鳶の声


『小樽新聞』昭和2年11月21日

余市川その源は清いものをこゝろにもなく濁る川下

岸は埋立川には橋がかゝるのにアイヌの家がまた消えてゆく

ひら/\と散ったひと葉に冷やかな秋が生きてたアコロコタン


『新短歌時代』昭和2年12月号

アイヌ相手に金もうけする店だけが大きくなってコタンさびれた


『小樽新聞』昭和2年12月4日

握り飯腰にブラさげ出る朝のコタンの空になく鳶の声

暦なくとも鮭来る時を秋としたコタンの昔したはしきかな

コタンからコタンを廻るも嬉しけれ絵の旅、詩の旅、伝説の旅


『小樽新聞』昭和3年2月27日

金ためたただそれだけの先生を感心してるコタンの人だち


『志づく』昭和3年4月号

沙流川はきのふの雨でにごってゝコタンの昔をさゝやく流れ

コタンの夜半人がゐるのかゐないのかきみ悪るい程静けさに包まる

暦なくとも鮭来るときを秋としたコタンの昔したはしいなあ

アイヌ相手に金もうけする店だけが大きくなってコタンさびゆく

岸は埋め川には橋がかゝるともアイヌの家が朽るが痛ましい

アヌタリ(同族)の墓地であったと云ふ山もとむらふ人ない熊笹のやぶ

ウタリーの絶えて久しくふるびらのコタンの遺蹟に心ひかれる

朝寝坊の床にも聴かれるコタンでは安々きかれるホトゝギスの声

つくづくと俺の弱さになかされてコタンの夜半を風に吹かれた

逃げ出した豚を追っかけて笑ったゝそがれときのコタンにぎやか

そばの花ゆきかとまがう白サ持て太平無事に咲てゐたコタン

静かアなコタンであるがお盆だでぼん踊りあり太鼓よくなる

いつしかに夏の別れよボン踊りの太鼓の音もうら寒いコタン

今時のアイヌは純でなくなった憧憬のコタンにくゆる此の頃

ひら/\と散った一葉に冷めたァい秋が生きてたコタンの秋だ

凸凹のコタンの道の砂利原を言葉そのまゝのがた馬車通る


『コタン』「私の短歌」昭和5年5月

今時のアイヌは純でなくなった 憧憬のコタンに悔ゆる此の頃

アイヌ相手に金儲けする店だけが 大きくなってコタンさびれた

握り飯腰にぶらさげ出る朝の コタンの空に鳴く鳶の声

岸は埋め川には橋がかかるとも アイヌの家の朽ちるがいたまし

暦無くとも鰊来るのを春とした コタンの昔したはしきかな

コタンからコタンを巡るも楽しけれ 絵の旅 詩の旅 伝説の旅

金ためたたゞそれだけの人間を感心しているコタンの人々

名の知れぬ花も咲いてた月見草も 雨の真昼に咲いていたコタン

賑かさに飢ゑて居た様な此の町は 旅芸人の三味に浮き立つ

沙流川は昨日の雨が水濁り コタンの昔囁きつ行く

平取はアイヌの旧都懐しみ 義経神社で尺八を吹く

尺八で追分節を吹き流し 平取橋の長きを渡る

崩御の報二日も経ってやっと聞く 此の山中のコタンの驚き

尺八を吹けばコタンの子供達 珍しさうに聞いて居るなり