生活 自覚への一路
(日高国浦河郡荻伏村) 生活改善同盟会 浦河太郎吉


 私はやっと社会に目をさましたばかりでしたのに、知らず/\のうちに、またも居ねむりが出て困ります。なんとかこの生きた社会に目ざめたいものであります。我等同胞(ウタリー)に、はたして真剣に起きてはたらいてゐる人がどれだけかあるでせう? と思ふときウタリーの将来が気づかはれます。
 私共の多くは牛飲馬食してゐて何とも思ってゐませんでした。洞木(ウト)の上から水を流した様なもので一寸もたまりません。それでゐて妙にひきこみ思案になり易うございます。どうしてかうなんでせう?
 ――「大和魂分析すれば義理と人情と痩我慢」――とか申します。
 弱虫のまねの出来ない所がやせがまんです。ナニクソ! とがんばったら、いっかなロスケでも、日本兵にはかなはなかった。義理と人情を加味すれば、そこに恐ろしい力となって現れます。けれどもやせがまんばかしではいけません。本当の強きがなくてはなりません。それは自覚への一路あるのみです。
 ウタリーの一番欠点は教育程度が低いことです。生活改善は今の私共に大事なことですが、その根拠を為すものは教育であると思ひます。殊にウタリーは女子教育に怠りがちにながれやすいことを心せねばなりません。
 私共ばっかしで生活改善同盟会を起し得たことは誠に嬉しい。サテ第一歩として何から始めたらよいでせう。一人めざめたら一人を活かす。更に宣伝するやうに相互教育をしようではありませんか。知ってゐても信じてゐても知らない人、気のつかないでゐる人に教へてあげなかったら宝の持くされになるばかりでなく、不親切も甚だしいと云はねばなりません。ですからこの上は、にくまれても、きらはれても、正しいと信ずることは遠慮なく言ひあひもし、又ねむってゐる者をどん/\たゝき起さうではありませんか。否、起して下さい。「良薬口に苦し」です。気もちのよい居ねむりから、ゆすり起されても何の不平もなくたゞ「有難う」と、お礼を言ひうるまでに私共は修養したいものであります。
 教育はすべてのものを理解さしてくれます。すべてのものを、はぐくみ伸ばしてくれます。しかし私共の現在の急務は衛生でありませう。衛生は文明につきものです。アイヌ民族を亡ぼしたのは不衛生ばかりでないことは云ふまでもありませんが、ウタリーの死亡率の多いと云ふところからして大いに注意すべきだと存じます。文政九年頃には二万三千七百余人、明治四十年頃に一万七千七百余人、大正十二年道庁調査で一万五千四百人たらずとのことです。こんな調子で年々減って行っては(まきかそんなことはないでせうが)何十年かの後が思ひやられます。ですから私達は生活を出来るだけ衛生的にしなくてはなりません。衛生は身体を強健にするばかりでなく、大切な精神をさわやかに致します。生活を一段と高めます。
 私共は行はねばならぬことがたくさんあります。よりよく生きるためによりよく努力しませう。自覚への一路をまっずぐに進みませう。
 アイヌとして目覚めたら、そこには冷かな言葉も侮蔑の目も何の権成がありませう。春のあは雪のやうに消え失せるにきまってゐます。 ――(完)――

附録「生活」と云ふ雑誌を出したいから各地のウタリーの投稿を願ひます。

生活改善同盟


※95年版『コタン』より