なさけのない人には分らないでせう。私はさう思ひます。けれども私達は、ほんたうに真剣に私達の「希望」に向って進んでゐるのです。
私達は形式にのみとらはれた道徳や、人前にのみ作られた修養には、つばしてやりたい様に思ふのです。
けれども今の世の人達には、一つの善いものゝかげにかくれてゐて、多くの悪いことをして居りながら、平気でそしてあたりまへの様に思って、自分が偽善者であることに気が付かないでゐる人があるのです。あさましく思ひます。
神様が私達を創造下さった時、私達の心はきれいなものであったさうです。そしてみんな大へん仲がよかったのださうです。ちゃうど父と母のあの暖かなふところで育てられた無邪気な子供達のやうに。
しかしどうでせう、この頃の世は…………?
みんな自己のみにとらはれて、血みどろになって争うてゐます。これがこの世とは私はほんとに悲しく思ひます。
私達は真剣です。
そして、正直に生きてゐるのです。
けれども、いくら私達が大声でありったけの声を出して正義をさけんでも、
私達は真剣です。
ほんたうに正直でした。
そして、悪には気が小さく虚偽にはあまりに意気地がありませんでした。たゞ神をのみたよりとして、神の慈悲に生きて行きたい希ひのみでした。
けれども、私達は弱いものでした。
神様の道のあまりに難かしく、そして、その御をしへの道を通れぬとてなやむのです。もだえるのです。
そして、自由に気まゝの道を通ってゐる人達がこのましいのです。
しかし、私達はどうしても、気まゝの道を通ってゐる者の道は恐しくて、私達の弱い心がとがめて、どうしても安心して通れぬのです。知らずになんの気なしにその道を通っては、ハッと思って、あわてゝ私達はひっこむのです。そして、自分の心の弱いのに涙が流れるのです。
――私は寂しく思ひます――
私達はアイヌとして幼い時からどんなに、多くの人達から侮蔑されて来たことでせう。
私達は弱い方でした。それがため堪へられぬ侮辱も余儀なく受けなばなりませんでした。その時私達はもっと強かったら、誰が黙々として彼等の侮蔑の中に苛んじてゐたでせう? 憎い彼等を本当に心行くまでいじめつけてやったのに…………。
私達はかうした自分の過去の出来事を追想して、思はずこぶしを握った事が何回あったことでせう。
けれども、私達は正直でした。
ほんたうに、真剣だったのです。
今日は聞くに堪へられぬほどの侮辱を受けても、次の日の私達は、本当に彼等を信じてゐました。そして真面目に彼等の愛を仰いでゐたのです。
「ウタリー」よ! 何故に私達は弱いんでせう。昨日彼等は私達になんとした侮辱を与へたか。そして私達は、その侮辱の言葉を聞いた時どんな気持であったか? 思って見よ、あの侮辱の言葉を思って見よ。お前はきっと忘れる事は出来ないでせう。であったら、お前は何故に彼等を信ずるのか? 何故に彼等に復讐しないのか?
私の心は、その時かう叫びました。
そして/\私は、あの恐しい復讐の企てに燃えて行くのです。私達は今日まで、どんなにかその罪の恐しさにおびえつゝも、彼等に対する復讐を行ったことでせう。
――弱きが故に受くる苦しみ、――異端者なるが故に受くる悲しみ――
私達は幾度か彼等を呪ひ、又私達の社会を呪ったことでせう。
けれども私達は正直でした。
私達は、自分の心持のあまりにも荒んで行くのを、いつも寂しく思ふのです。そして堪へられぬ悔みが、熱い涙となってとめどもなくあふれ出るのです。
そして、私達はあたゝかな神様のお慈悲を思ふのです。私達は今神様のお慈悲にあこがれてゐます。心ゆくまで神様の愛の中にひたってゐたい希で一ぱいです。
けれども、私は罪人です。現在も彼等に対する復讐を考へてゐます。どうして、神様のお恵みを頂けるでせう。――私はアイヌ。さうだ! 侮蔑は当然異端者の受くべき処です――弱き者なるが故に受くべき苦しみ、異端者なるが故に受くる悲しみを、私はアイヌなるが故にしみ/゛\と味ひ得るのです。異端者ならで誰がこの悩みを深刻に味ひ得るものがありませうぞ。
私は淋しき者への心持を味ひ得て、そして、さうした不遇の人達で心からなぐさめる事の出来るのを、私は幸福に思ふのです。異端者なるが故に与へられたこの幸福、私達は幸福でなければなりません。侮蔑は私達への生命の糧であらねばなりません。
しかし、私は淋しく思ふのです。
私は神の光をまともに見ることの出来ないのに、今もどんなになやんでゐることでせう。私は今彼等の侮蔑を甘んじて受け得られるでせうか? そして憎い、しかし憐れな彼等を赦し得られるでせうか?
いゝえ……。それは本当にむづかしいことでせう。
神様はかうしていつまでも私の心になやみの種を与へようとします。
けれども私は神様をたよって生きて行きたいのです。彼等を赦して行きたいのです。彼等も愛して行きたいのです。しかし……、私は清らかな愛の道は通れぬでせう。
――私は祈ります――
私は救はれなくとも、きっと神様は私を赦して下さるでせう。――(合掌)――
※95年版『コタン』より