違星北斗写真館


 現在のところ、違星北斗の写真は大きく分けて5種類見つかっています。

 (1)一番有名なのは、国民服のような服を着た写真。この写真も、載った媒体によって、かなり印象が違います。
   肖像写真の修整はよく行われていたそうですので、これらの写真も、修整が加えられたものかも知れません。

 (2)丸坊主、背広の写真。昭和5年8月29日付の北海タイムスに掲載されていたものです。
   
※この写真の原版が、小樽文学館に所蔵されていることがわかりました。新宿駅にあった新宿ステーション写真館で撮影されたものです。

 
(3)中里篤治(凸天)とのツーショット。丸坊主で(1)と同じ服装のもの。『金田一京助随筆集2』「思い出の人々」に掲載。

 (4)高尾登山の記念写真(大正14年)。西川光次郎の『自働道話』に掲載されたもの。不鮮明で、北斗の顔がよくわかりません。

 (5)余市大川尋常小学校の卒業写真(大正3年)。絣の着物を着ていて、北斗であることは一目でわかります。

 1-A 小樽新聞 (昭和2年12月4日発行) ↑ 1-B 志づく(昭和3年刊)

※柱か壁のようなものが写っている。

↑ 1-C 希望社版『コタン』(昭和5年刊)
↑ 1-D 違星北斗遺稿集 (昭和29年刊)

 ※最も広い範囲が写っている。

↑ 1-E アイヌの歌人 (昭和38年刊)

 ※白目がちで顔の雰囲気がだいぶ違う。髪の毛の感じもちがう。「大正15年頃東京にて撮影」とある。

↑ 1-F 84年版『コタン』(昭和59年)

※顔は遺稿集のものと同じ。

↑ 1-G 95年版『コタン』(平成7年)

※84年版と同じ。

1-H

 毎日新聞 1954年9月10日掲載された写真。

   別人のように変な顔になってます。

↑ 3 金田一京助随筆集2
  「思い出の人々」(三省堂)

※北斗と中里凸天(篤治)、髪型が丸坊主でかなり若く見える。服装は同じ。
※金田一秀穂先生より、掲載許可をいただきました。

※丸坊主、背広姿の北斗。

↑ 2-1 北海タイムス 昭和5年8月29日
 2-2 市立小樽文学館所蔵。

 東京「新宿ステーション写真室」で撮影されたもの。大正14年ごろかと思われる。

 これまで見つかった写真の中では一番鮮明。

 上の「北海タイムス 昭和5年8月29日掲載」の写真のオリジナルと思われる。

4 自働道話 大正14年5月号  

高尾登山の記念写真 (大正14年3月21日)

後列 石沢氏、西川光次郎、額田真一、永田氏、違星北斗、礼子さん、中原氏

前列 今村氏、島田氏、大久保氏 

※北斗は後列右から二番目。

5 大川小学校 大正3年 卒業アルバム  

まだほんの子どもの12歳の違星竹次郎の姿。小学校卒業後、北斗は漁場で働きます。