「樺太、北海道巡講記」 西川光次郎

自働道話 大正十三年十月 一二六号


(前略)

△八月七日(晴天)午後六時、余市着、駅前にて顔を洗ひ、奈良直弥翁を訪問す。翁は明治十六年北海道に移住せし人にて、爾来四十余年北海道の教育界に活動せられて居るのである。中十数年間はアイヌ教育に専心され、アイヌ青年の中には翁の崇拝者が多い。違星竹次郎氏は其の中の一人で現に本誌の愛読者である。翁と講演の打合せをして、午前八時十七分の汽車に乗る午後二時半旭川着、駅前藤屋旅館に一泊す。コゝで下車一泊したのは、自分等の乗って来た汽車は稚内まで行かず、どっちにしても途中で一泊せねばならなかったからである。
(中略)

△十七日(晴天) 午前七時稚内上陸、八時半の汽車にて余市に向ふ。樺太を見し眼では、稚内も都である。午後十一時半、余市着、奈良直弥翁を訪ふて、翁の宅に厄介となる。

△十八日(晴) 朝七時起床、朝食の御馳走になりて後、奈良翁の案内で高山苹果園を見に往く。
 老木となる程、病気も多いが、林檎も甘く、香気もよいとのことだ 
午後二時より大川小学校にて開会、此の会は余市教育会と、大黒会と連合の会でした。小生は矢張り社会奉仕の話をしました。午後五時より黒川青年団事務所に於て、黒川農業部落の人々の為にお話しました。

△十九日(晴) 朝、奈良翁、郡田氏と共に、アイヌ青年違星氏宅を訪問し、種々の宝物を見せて貰ふ。午後一時半より沢町小学校にて開会校長先生、奈良先生の挨拶や紹介ありて後、小生は「念には念を入れよ」と云ふ演題で一時間ばかりお話しました。午後四時五十分の汽車にて札幌に向ふ。奈良氏違星氏停車場まで見送って下さいました。
 余市辺には内地の桐松柳などが植へられて、立派に成長して居る。杉はどうも育たず、柿はならないといふ。


※95年版『コタン』「くさのかぜ」より