編輯余録


◇ 本誌は茶話誌第五号として刊行するつもりであったが会員の殆ど全部がカラフトへ出稼ぎ中なのでこれを凸天、北斗の二人で「コタン」として出しました。僭越ではありますがコタンの友へ手紙がはりに書きました。どうかそのおつもりでおよみ下して、御一人でも多くのウタリーに見せてあげて下さい。併せて批判を乞ふ。

◇ 中里篤治は病床に臥してゐます。私は手紙なぞは全く出してゐません。けれども私は皆様を忘れたのではありません。今に健康恢復して活動するやうになったらきっと皆々様へ万分の一の御恩報じたいとそれのみ祈ります。

◇ 出来上がってみると物足りないものです。こんな事を俺が書いたのか、ナアーンダてな恥しい気もする。けれどもこの雑誌をコタンの多くの友の手に依って三号雑誌よりも長命にさしたいと願ひます。どうぞご高見を御遠慮なく御投稿下さい。


※95年版『コタン』より
※この文章は北斗と凸天の手によるもの。真ん中の文は凸天のものであり、一番めのものは北斗のものと推察できる。3番目のものも、北斗のものであると思われるが、いまのところ、確認できていない。