春の若草

昭和八年一月二十日 創刊号


違星北斗氏遺稿

 開道五十年 其の間に受けた打撃に依って しほれて居る今のウタリを思ふ時 涙と 恥と 憾みは 尽きません。他からの圧迫も 無論あった事でせう。けれども 私共の落度も少くありません。本当に 余儀ない事であったでありませう。アイヌを 今日の悲哀に置いたのは シャモではなく むしろアイヌであったかも知れません。と同時に 将来に於ては ウタリを救ひ出すのも やはり ウタリでなければならない。
 私共は 遂ひこの間まで 賎められ 侮られても 諦らめて居たり 虐げられても 甘じて居なければならなかった。要するに弱かったのである。
 そして「恩恵」だとか「同情」などを 随喜の涙で迎へて居て 己が意気地無さを 悲しむ者が少なかった様であります。自他共に 無反省に差別して 因襲に依り 卑下して居ました。
 然るに 此の頃のウタリは 黙々の中に期せずして 「同化」と「進歩」に近きましたけれども 中にはまだ/\楽観を許しません。
 己を卑下するあまり アイヌを恥ぢて シャモの中に 隠れたり 逃げたりする者もあって 残念な事です。 私共は「アイヌ」である事を 遠慮する前に 先づ 正々堂々たるウタリであらねばなりません。それは それは 恥かしいと思ふ場合も多くありませう。けれども「恥」を意識した時が 一番大切です。この時 隠れてはいけません。逃げては なほ卑怯です。積極的に打ち勝たねばなりません。
 さりとて 之の隠れる心持や 逃げる心持と雖も 又どうしても 憎めない可愛いところもあります。この心地こそ 自覚の最初の門戸であって 正しい覚醒に入らうとして 扉を叩いて居る様なものです。
 さあ!! お入りなさいと 開かれたら雀躍として ウタリの誇を握るの秋です。
 過去の憾 現在の嘆! それはもう感謝すべき試練であった。幾拾年の永い間 潜んで居た美しい気魄は 伸びよう/\としても 伸び得なかったのでしたけれども 冬眠より解放された 譬へば春の芽生えの様に 涙の露や 汗の潤ひに はぐくまれて 柔らかな 二葉を 地上にもたげ出した ウタリは美しい若草です。雄々しく伸びんとする 健気さを愛さねばなりません。
 云はず 語らずの中に 計らずも 一致した之の美しき「向上心」を 無限の歓喜を以て 迎へます。
 大正のアイヌは 皆仲良く 助け合ひ 正しい歩みを 一歩々々 進めて行くと云ふ事は 実に 壮烈な事ではないか!!
 おゝ!! 同胞よ、今はもう惰眠をむさぼる時ではない。黙って居るさえも 不都合である。伸びんとする 芽生えを踏みにじる者は 更に罪悪である。
 春の若草! 鳴呼 その優しく強きを 倣はねばなりません。
 終り


※95年版『コタン』より