『知里真志保の生涯』より 藤本英夫
「青葉若葉の頃」より
(前略)
真志保は、(佐藤)三次郎氏に「オーソドックスな作歌作法を勉強せよ」といい、子規や牧水に親しむようにすすめていた。そして、北斗の、「無くなったインキの瓶に水入れて、使っているよ少し淡いが」という、そんなのが歌か、マネしてはダメだ、と注意したこともあった。
(後略)
(前略)
行商の途中、北斗は室蘭中学に立ち寄ったことがあった。”民族学研究家”ということで迎えられている。このとき、北斗は、真志保に数学を教えていた岩倉友八に会っていた。岩倉は、話がたまたま、真志保のことにふれたとき、「知里君は学者になるのに適した頭脳を持っている」と、話した。
昭和三年二月の末、幌別のどこかで、一夜、話し合った真志保に北斗は、岩倉のこの感想を伝えていた。昭和十五年、豊原女学校で教師になった真志保は、久しぶりに会った岩倉先生に、「北斗から伝えられた先生のその印象が、私の将来を考える上で、重要なきめ手になりました」と述べている。
(後略)
※『知里真志保の生涯』「藤本英夫」(新潮選書)より