フゴッペ発見記事

(小樽新聞昭和2年11月14日)


神秘を語る古代文字と  
 謎をきざむマスク
   東洋のスフインクスと喜ぶ西田さん
         考古学上の好資料

 絢爛と輝いて居る文明の今日に於て幾多のなぞが取り残されて居る、人類が創造されてから幾千年なほその*の経緯を審になし得ない「汝自らを知れ」といつた言葉も玩ぶ翫味して見ると自己の発生を知り得ない処に重い試練の笞をうけるのである、絢爛と輝いて居る文明の今日その表面の華麗に相応はしくない幾多の考古学者や人類学者が齷齪として微に入り細に望み営々とするもこの大なるなぞを解んがためである刹那の快に走る人々もその奥底には依然その解決を欲して居るのである。茲に於て遺跡古物の発見は如何に尊い使命を与へるかその価値は無限である今や天然物記念物保存となつて居る小樽手宮古代文字にすら異説がある然るにこれが反証となるべき古文字が蘭島畚部村において発見された事は人文史上有力な資料と言はなくてはならぬ人類共通の「見究める」といふ強い意識がより熾烈となるのである  

古代文字……何といふ魅力のある言葉であらう、久しく手宮古代文字に親しみきつた我々でも再びこれを口にする時は、そこにいひ知れぬ味を感ずるのである、我々の抱いてゐる疑問を

解決する といふ潜在意識のしゅん動と千古の未知の扉を打開くといふ観喜の心の躍動である、それがつひ目と鼻の間にある蘭島は畚部村に発見されたといふ事は何といふ大きな収穫であらう、この有力な資料の発見者である蘭島駅保線に勤務する宮本義明君の功績は蓋し偉大であるといはなくてはならぬ、この報を得た記者は高商西田教授並に写真班と共に現場に赴いたのである、場所は蘭島駅約四丁

トンネル を潜り抜けると畚部村に入る線路に沿ふて約六七丁山と山との切通しの箇所こそこの神秘を包む現場なのである切り開かれたために孤山となつたこの山は約百尺の高さで凝灰岩から集塊岩又凝灰岩と層をなし土をもつて掩はれてゐる、そしてこの古跡の箇所は十五尺程掘り下げて始めて現れて来たのである、この奇怪の文字を彫り刻めた岩石は往昔海中であつた所と見え波力に削られた形歴然で僅少であるが

彎曲して ゐる文字は十字であつたのであるが子供が一字つぶしたので九字より存してをらない、しかも一*字を除く外刻みが薄くこのまゝ放任する時は*何もなく消滅する憂ひがある、文字は直線的で立書である、従つて手宮の古代文字に比するとその曲線的のものでなく寧ろ神代語の日文(ひふみ)に接近してゐる、が文字の少い処から見てもこれを文章と見るのは早計で単なる記号でないかと

御同伴の 西田教授の話である、なほこれ以上にセンセーションを起すべき一大資料と見るべきものはその岩の尖端に彫つけたマスク(人の顔)で縦約二尺横一尺稍(やや)四角張つた扁平的の怪異の相貌をしてゐる、眉太く口大きい処からアイヌ種族の顔がたちであるかゝる珍品が

発掘され たのはこれが嚆矢で西田教授が「東洋のスフインクス」と叫んで喜んだのも無理はない、その他石斧一個と土器(壊れたので判然しないが一箇らしい)人骨(下?(あご)で歯四枚ありと余市の人持ちゆけり)が出たのである、石斧は約五寸位であるが石のかたさから推してそ処の岩々には全然相違してゐるので他所から持つて来たものと思はれる往昔その

近傍が海 であつた事はその岩の形状から見ても判然するがその岩の下四五尺掘ると一面に砂があるのとその附近が一帯に砂地であるに徴して分明である、従つて先住人が陸に変化した時海岸に近い稍東南に面した(一体に暖かい方面に住する習性を持つてをつた)その洞窟に宿つたものと思はれる、而して(詳細は学術的に西田教授が述べるが)アイヌ種族に対し

一方南下 したツングース族がをつた事は事実であるから常に闘争は絶へなかつたものと想像される、それで日本でもさうだが酋長とか名将の戦死した場合はその首を敵に渡さない習慣があつたのでこの現場も確に首をその土器に入れ埋没せしめその記念にその岩石に彫像し同所の岸壁に記号を印したものと思はれる、兎に角蘭島から

忍路寄り の方面並に蘭島小学校から畚部寄りの箇所にストーンサークルがあり且畚部に処々にアイヌの貝塚がある処より更に現在まで十五尺以上も土で掩はれた地中に斯くの如き古跡が存してゐるといふ処よりして手宮の古代文字が後人の疑作であるといふ説に対する一大有力な反証で且それ以上に何等かの連絡がありはしないかとも思はれるのであるが兎も角かゝる珍品が

発見され たことは考古学にとつて大なる貢献で、エジプトのスフインクスがナイル河畔で千古の謎として聳えてゐる時東洋のそれに等しきマスクが畚部海岸に無限の神秘を蔵してゐる事は学会の宝としてこれを保存しなければならぬ発見者である宮本氏は

この文字の箇所を掘り初めたのは十月の五日でその三日目にこゝに到達したのであるが、文字が眼につ いたので不思議と思つて叮嚀に見ると手宮の古代文字に似て居るので大切にした、このうちにこの首が出 て来て始めは知らぬので鶴はしで頭部の辺を少し欠いたが遠くで見る程人の顔に似て来たので保存する事 にした同所に土器と石斧と人骨を発見したので只事ではないと思つて居ました(写真上段発表された文字 、下段右発見者宮本義明君と右手の石斧左手の土器の破片、同左東洋のスフインクスであるマスク)