蝦夷の光 創刊号(北海道アイヌ協会)
編輯人 喜多章明
「蝦夷の光」誕生を祝ふ
後志支庁管内アイヌ代表 違星梅太郎
今回アイヌ族相互の修養の為に、雑誌「蝦夷の光」が発刊せられた事は、我が同族発展の為に慶賀に堪えぬ。
相互の知識特性を研き、卑屈柔弱の弊を去り、進取剛健の気風を養ひ、如何なる艱難苦行にも屈せず、大いに奮闘努力して各自の向上発展の為め貢献したいと自分は予ねてより望んでゐた。弟、北斗が存命してゐた頃も時折話合つたことでしたが、遂に着手するに到らずして北斗は此世を去つた。勿論自分は其器(そのうつわ)でないので之迄実現を見なかつた。之は私の最も遺憾とする所であった。然るに今回突如として本誌が生れた。全く空谷に跫音を聴くの思ひで洵(まこと)に感激に堪えぬ。由来我が同族中には因循固陋の徒多く、明治初年学制を布かれて半世紀以上を経過してゐる今日、未だ土人保護法さへも廃止するを得ざるのみか、却て其必要を叫ばるゝ状態にある事は全く慚愧の涙に堪えぬ。願くば本誌の鞭撻に依つて智徳の交換と向上とを図り、一日も早く保護法等は撤廃されん事を希望する。終りに臨んで諸兄姉の御健康を祈ると共に聊(いささ)か所感を述べて本誌発刊の祝意を表する次第である。
アイヌ詩人北斗君
余市町のアイヌ詩人違星北斗君は、詩人であると共に一面に同族愛に燃ゆる熱血児であつた。彼は上京して市場協会の書記となり、可たり恵まれた生活をしてゐたが、同族を想ふ一念は遂に再び彼を郷里北海に帰らしめた。そして自らガツチヤキの薬売となつて同族の教化運動を起さんとしたが、昨年春二十九歳を一期として遂に不帰の客となつた。本会が今回此事業を起すに当つて、彼れが生きてゐて呉れたら:…・と恩ふと洵に遺憾に想ふ。