『北海タイムス』同族のための熱の歌  


若くして病にたふれた

旧土人復興の運動者

 最近旧土人保護法案の撤廃と独立を提唱する叫びが目覚めた旧土人の間に挙げられて来た 国家の保護にあまんじ無自覚な生活を続けて来た結果アイヌ種族の滅亡の端を発したのだアイヌ族の復興は我々の手でやれと云ふのが此純真な人々の叫びなのである この運動の裡に若くして此運動の第一声を挙げ病に倒れた燃える様な情熱の青年があつた事を忘れてはならない
 仕方なくあきらめるんだといふ心哀れアイヌを亡ぼした心……と嘆じ、強いもの!それはアイヌの名であつた昔に恥よ覚めよウタリ……と強く叫んでアイヌ族の為に万丈の気焔を吐き志半ばにして病に倒れた一青年は名を違星瀧次郎君といひ余市旧土人をもつて組織して居る現余市造資組合長違星梅太郎君の実弟である 彼は明治三十四年に生れ余市大川尋常小学校を卒業するとから或は夕張登川の木材人夫に石狩の鰊漁場に轟鉱山の坑夫に汗と血と忍苦の生活を続け大正十二年七師団に入隊して八月除隊後再び労働に従事し売薬行商をなしその間「あゝアイヌはやつぱり恥かしい民族だ酒にうつゝをぬかすその体(てい)」と寂しく歌ひ乍ら種族の自覚を叫んで歩いた、が遂に彼の終始一貫せる愛の事業も志半昭和四年一月空しく二十九歳で病に倒れたが彼が前半生を同族の為に捧げアイヌ民族全体の幸福を来す基を築き上げるまでの熱の歌と日誌の遺稿を集めてコタンといふ小冊子を頒布し彼の兄梅太郎君は又故人の遺志をついで雑誌コタンを刊行し之による収益をもつて愛憐事業の一つである故人の雅号をそのまゝに名づけた北斗農園を新設し同族の青少年を収容して旧土人復興の大事業を完成せんと意気込んで居る梅太郎君は語る
 我々はアイヌと呼ばれたくないそして差別撤廃を叫びたいんだ 現在余市に居住して居る旧土人は四十八世帯二百四十六人に達して居る その生活業態を見ると労働四、農業十、漁業九十二、商業五、その他百となり、之等をもつて造資組合を設立し愛憐事業の一つとして居る 故人の遺志である北斗農園設立も着々進行して居る

(写真は若くして逝いた違星君)


※『北海タイムス』昭和5年8月29日