バチラー八重子の金田一京助宛の手紙



 ……先生、違星さんの「コタン」の中に私の作った歌が三つのっています。それはか(こ)うなのです。幌別で違星さんと一しょに作ったのです。私がいつものちょうし(調子)で不×(一字不明。不意か?)に作ったのを、下の句のと(ど)こかおなほしになりましたのでした。

 真志保さんにきけばよくわかりますの。あれは私の大切な歌なのですものね。「深々とふけ行く夜半」と云(う)のと、「新聞にアイヌの記事」と云(う)のと、「とろとろとなく虫の音」と云ふのです。

 真志保さんの三人て(で)作ったのでした。……(原文のまま)

(昭和5・8・10)



※掛川源一郎「バチラー八重子の生涯」北海道出版企画センター)より