アイヌの一青年から

医文学 大正十五年九月一日第二巻第九号


アイヌの一青年から   藻城生

 アイヌに有為の一青年があり、違星滝次郎と呼び北斗と号する。私は松宮春一郎君を介して之を知り、曾て医文学社の小会にも招いたことがある。一昨年来東京に住してゐたが事に感じて帰国することゝ

なつた。この帰国には大なる意味があつて、喜ばしくも

あるが、亦た悲しくもある。アイヌ学会の人士や其他の人々と共に心ばかりの祖道の宴を開いて帰道を送つた。此会には琉球の某文学士抔も参加されてゐた。其後左の如き手紙が届いたのでこゝに掲載する。その心事一斑を知ることが出来るであらう。

 

謹んで申し上げます
 私しは一年と五ケ月を、東京に暮しました、誠に幸福でありました、これもみんな皆様の御同情と御祈の賜と感謝してゐます、私しは今度突然北海道に帰ることになりました、折角かげとなりひなたとなつて御鞭撻下さった皆様の御期待に叛くやうでありますが、どうぞ御許し下さいまして相不変御愛導をお願申します。申し上るまでもありませんが人類の奇蹟の如く、日本は二千五百八十六年の古より光は流れ輝いてゐます、建国の理想も着々として実現し、吾が北海道も二十世紀の文明を茲に移し、アイヌは統一され、そして文化に浴し日本化して行く。それはたとへ建国の二千五年(ママ)後で少く遅かったにしても、「彌や栄ゆる皇国」として皆様とこの光栄をともにいたしますことを悦びます。
 乍然この国に生れこの光栄を有してゐても過渡期にあるアイヌ同族(ウタリ)は、果して楽観すべき境遇にあるでせうか? 昔の面影もどこへやら(、、、、、、、、、、)精神は萎縮する(、、、、、、、)民族自身は(、、、、、)或は他からも(、、、、、、)卑下する(、、、、)誇るべき何物をも持ってゐない(、、、、、、、、、、、、、、)そしてあの冷たい統計を凝視る(、、、、、、、、、、、、、、)至る処に聴く(、、、、、、)アイヌ(、、、)と云ふ言葉(、、、、、)それは(、、、)亡び行く者(、、、、、)」「無智無気力(、、、、、)の代名詞の感があります(、、、、、、、、、、、)、本当に残念なこと、お恥しいことであります、これも単に同族の不名誉であるばかりでなく我大日本の恥辱であることを思ふと真に大和民族に対し面目次第もないことであります、自然淘汰や運命と云ふ大きな力であるからどうすることも出来ませんが只だ古俗の研究はとうてい不可能也とされてゐる今日、誰かアイヌの中から己が自身を研究する者が出なければならないのであります(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)
 今の民族の弱さを悲しむ時は恩恵的や同情的ことにどうして愉快を感ぜられやう。
 アイヌを恥て外形的シャモになる者……又は逃げ隠れる者は祖先を侮辱する者である
 私共は閑却されてゐた古習俗の中よりアイヌの誇を掘り出さねばなりません(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、) 。今にアイヌは強き者の名となるの日を期してよい日本人の手本となることに努力せねばなりません。
不取敢・今の最も大なる問題は「老人の死亡と古俗の消滅と密接な関係がある」から年寄の多い中に研究の歩を進めなければなりません。
 私しは伝説や瞑想の世界に憧憬てアイヌの私し共は最善を尽して出来るだけ大勢に調和することであります、それにはアイヌからすべての人材を送り出し、民族的にも国家的にも大いに貢献し幸福を増進せねばなりません。その為に昔のアイヌ、所謂、純粋が無くなるから無くなっても一向差しつかへないのであります、吾々は同化して行く事が大切の中の最も大切なものであると存じます、かふして同化はアイヌの存在も見分が付かなくなるであらう、それで何の不都合もない、けれど、過去の事実を永遠に葬てはいけない。
吾ら祖先の持ってゐた、元始思想、其の説話、美しき瞑想、その祈り等、自分のもの己が誇を永い間わすれられてゐた、とこしへに消去らうとしたのを、金田一京助先生の手に依而危くも救はれた、私し共は衷心から感謝するものであります、十年の後には純然たるコタンに参ります、喜び勇んで参ります。
 それにしても何等の経験も予備知識もない貧弱な自分を省るとき心細さを感ぜずには居られません、けれども私は信じます。
 東京の幸福より尊く。金もうけより愉快なことであります、そしてこれが私の唯一の使命であることを
 どうぞ皆様
 私しはかふして東京を去ります宜敷く御教導の程偏に御願申し上げる次第であります。
  大正十五年六月三十日             違星瀧次郎


※この文は「藻城生」こと長尾折三(医文学編集者)。
※草風館版『コタン』には、北斗の手紙の部分しか収録されていない。